二胡駒は基本的な材料としては黒檀と白木があります。白木は本来は楓なのですが、ちょっと違う感じのものも市場にあり、これも結構良いので主にこの2種が置かれていました。それ以外に幾つか種類があってもせいぜい5種類ぐらいというところでした。中国では様々な経緯を経てこういう状態に落ち着いていたのですが、日本ではその辺の事情はわからないので、二胡には質の高い紅木を使うのに何で駒には雑な材料を使うのか?という見方も出てきて、日本の伝統楽器には象牙を使うことから、二胡にも象牙の駒が良いのではないかということになってきて、作った人がネットにアップするというのが2000年代後半ぐらいから出てきました。これらは大抵注意書きがあり、私的に作ったものだから外部に提供はしないとされていました。そこへ弦堂がちょっかいを出すも全く相手にされず、最終的に村山駒を扱うに至りました。これは意外なことに中華圏に対してかなりインパクトがあったらしく、まさに玉石混淆といった感じでいろんなものが出てきました。しかしやがて落ち着いて元に戻りました。それでも一部の良いものはまだ市場に残っており、以前のように選択肢が限られているというのは過去の話になりました。これはいささか複雑な話です。なぜなら、中華が日本に触発されて駒の材料を追求し始めはしたものの、数年で収束し元に戻ったということは1つには村山駒の否定という要素は多分にあるかもしれないし(しかし彼らは村山駒そのものを入手して確認しておらず、そのコピーで判断している点は注意する必要があります)、一方で以前になかった材料がスタンダードに定着していたりしますから、これは村山駒の肯定になります。弦堂の考えでは、結局全部肯定されたのではないか、二胡もそれぞれだから最終結論を出すのは憚られるし、良し悪しがジャッジできないと考える人が多くなってきたのもそのためではないかと思います。材の質とか価格で判断するのではなく、全てをフラットに見るという人が多くなってきて、弦堂に関しては販売者なので公平にいろんなものを探すというのは当然ですが、それと同じような感覚で各奏者も駒を見るようになってきたのではないかと思います。これは中華圏での状況で、日本ではどうなのかわかりません。またこういうことを言うと苦情のメールが来そうですが、日本では教室毎にガラパゴス状態になっていますね? なってない? いずれにしても所属されている教室には合わせた方が良いですが、日本は全体としての流れはないですね。狭いところで色々判断されています(批判ではなく純粋に状況を観察したにすぎません)。だから駒に関しても色々考え方があるでしょう。結局、様々な駒が肯定された背景には個人がイメージする独特のサウンドが駒で得られやすいという要素が大きいので、どのような理由があれ教室の先生が決めた特定の何かがあるのであれば、そこではそれで問題はないでしょう。間違いはないのですから。一方で駒はそれぐらい難しいものであるとも言えます。これが駒を巡る歴史的?変遷ですが、結局のところ、大山鳴動して鼠一匹的感もなきにしもあらずではありますが、弦堂個人はそのようにネガティブに捉えていません。
中華の駒は古い体制による手作業での製作環境も残っていたり、コンピューターによる自動化で全く同じ形が生産されてくるようなものもあります。日本では出荷量の少なさから機械生産は難しいでしょう。同じ形のものを確実に生産できる態勢ではあらかじめ理想の規格を設定する必要がありますから、駒に対して最終結論、或いはそれに近い規格が決定されている必要があります。しかし決まった規格であらゆる二胡に対応することは現実的ではないという考え方もあって、演奏者が自分で削って、あるいは工房が自社の二胡に合わせた手工駒を添付するということもあります。1つ思うのは、この両者、手工と機械ですが、材料とか理論を超えた決定的な違いがあるように思います。つまり、機械で生産されたものと全く同じ材料で全く同じ形状を手工で作った場合、全く同じ音になる筈がそうではないという謎めいた違いがあるということです。明らかに手工の方が良い、理想の規格があるのであれば、往往にして手工はそこからズレるがそれでも手工の方がはるかに良いという説明し難い違いがあるということです。数点見てたまたまそうだっただけかもしれない、それで色々数を見ますが、やはり結論は変わりません。
手工であれ機械であれ、何らかの規格に基づいて、ある程度集約された概念に基づいた上で製作せねばなりません。先日、呂建華の家に行った時に彼が2年余り続けてきた駒の研究を見せて貰いました。全て違う形の駒を作り、実際に確認するというものです。
かなりの量で材料は黄銅まであります。
三味線型ですが、意図は駒から上下左右に対し等間隔にするというものだったようです。一種のテストでしょう。
今でも中国市場で見受けられるタイプです。形状で想像がつきますが、かなり強引な言い方をすると2,3把の二胡で演奏している感じ、もちろんそんな重奏的効果はありませんが、潜在的にそういうキャラクターを持った響き方です。音に芯がなくなります。これがまだ市場に残っている理由はわかりませんが、ともかく一般的な駒とは異なります。
質量を極限まで削ぎ落とすとこうなるのでしょう。作るのは非常に大変らしいのですが、呂建華師によると「音は全く感心しない」。
捻れています。
穴を開けたり開けなかったり。
中国の城のような形状です。
底を貼り合わせるタイプも数種類検討されています。
全て呂建華師ご本人が作ったものではなく、(弦堂の知らない)ある製作家に発注したものも多く、彼は本業があるので趣味で行い、全て価格は無し(販売しないとは言いにくいので大陸ではこういう言い方になる)、しかし有名演奏家のサポートはやっています。これらの研究結果から駒というものはやはり普通が一番というところに落ち着くらしい、そういう理由もあって販売しないと決めているということと、市販の駒を少し削る、そんなに大変なことではなく誰でもできる範囲で削ることで調節するのが良いという考えになったようです。研究家、製作家であれば演奏家との協力関係で仕事をすることで開発を進めたりということはありますが、そういう先進的な目的がないのであれば、自分でやれば良いのではないか、数分のことであるし、そういうことのようです。では普通とは何なのか、数値が要ります。市販の駒を調整と言っても基準が必要です。呂建華師の場合はノギスで測定した上で自社の二胡に添付したりすることがあります。弦堂が彼の家に二胡を取りに行った時は駒は出来ていません。思い出したように駒が要るとなって削り始めます。慣れているので1粒で1分はかかっていません。数値は以下の通りです。
横 14-16mm 音の厚みがあり過ぎる場合は削る
縦 8-9mm 音の反応が変わってくる
高 8mm 皮が緩い場合は 外弦8.3mm 内弦8.5mm
弦幅 5mm (これは狭いですね。6mmも有りでしょう)
この数値を見たところ、これは円形ではないということがわかります。縦横の寸法が違うので楕円の駒です。呂建華師の考えでは楕円に限るらしい、しかし自宅に丸があればそれを使ったところで問題はないでしょう。中国北方では楕円が最適とされる傾向があり、南方では丸が主流です。音に対する考え方が違うからですが、どちらも間違っているわけではありません。数値の中では高さが特に重要で、呂建華師もノギスでさかんに高さを測っています(写真例)。材によって数値を前後に振ることもあるようですし、それほど厳密なものではないけれど、ノギスは結構精密に測れるものを使っています。合う駒がないという人間は市販のものをそのまま使っている、削らないからそういうことになるという説教も交えつつ工作されます。しかし古い二胡に関しては高めに取っているし、両弦で高さまで変えています。結局適当であったりもするが、呂建華師の場合は立場上、一応標準に合わせて最大公約数的な、一番反論が出そうにないあたりで収めていると、本当は自分の好みで変えた方が楽しめるだろうとも言っています。皮が緩いと言っても程度の差はありますから、もっと高く、9mmとかそれ以上の方が良い場合もある筈です。
この時に気まぐれ的に(見えるが実は考えていたかもしれない)チョイスした4つの駒を削ったものを頂きます。右から印度紫檀、楓、老松、分類できない黒檀の一種です。楓以外はこの写真に写っているものに関しては普通に市販されている駒に過ぎないらしい、それに少々手を加えたと言っています。楓はコントラバスのスクラップになった駒を削ったと言っています。これは呂建華師があまり熱心に普段駒を削っていないため極めて数が少なく、一般に呂建華二胡に添付しているものはスクラップから取ったものではない楓材です。その大雑把なものが袋に保管してあって、二胡の出荷前に1つ取り出しては削るのがいつものパターンなのです。写真の中で呂建華師が使っている棒ヤスリ、テーブルの上に置いてありますが、これが三角断面で、これで溝を彫るのがベストで弦が駒を傷めないようにするのはこれが良いということです。なければハサミを使うこともできます。
本来二胡奏者にとって駒を削るというのが普通だったのは充分に理由があってのことで、如何に現代化され規格化が進んでも、最良の方法は昔のやり方に戻るということに集約されるということだと思います。古楽器を使い、薄い蛇皮を張った二胡を愛用している中国の老人たちは、店に行って自分の二胡に合う駒を木箱の中から探します。駒には寿命があり、また蛇皮の変化によって合わなくもなってくるので、換え時を見極めて、次にどんな駒をあてがえば良いのか、推測を含めつつ選別します。数十個を一度に買い、家で選別することもあります。選から漏れたものはまた後々には合うかもしれないからです。その選ばれた駒は作りが粗く、そのままでは使えません。それでやすりを使って削ります。これはあたかもオーボエ奏者がリードを自作して幾つも持っているのに似ています。こうして自分と自分の二胡だけのサウンドを作っていきます。駒作りも演奏技術の一部でした。売られている物は非完成品という前提で売られていたようです。
しかし二胡が現代の仕様になってから、この作法がだんだん失われてきました。現在駒を削っているのは一部のハイアマチュアかプロ奏者ぐらいだろうと思います。依然として現代でも駒作りは必要な技術ながら、もはやそのことを教える人もいなくなってきました。そうしてやがて "完成品" の駒が出てくるようになりました。
既製品の駒に少し手を加えた例で実際に二胡に合わせてあるものを2つ掲載してあります(写真はクリックしましたら拡大します)。これは骨董屋で見つけた古い二胡に付いていたもので、写真の二胡に付いていたものです。3つ並べてある駒は二胡が進化するのを見越して右から使い、合わなくなったら変えていくという、先に作っておくという、こういうものも作られることがあります。加工法で特に多いのは、底や側面を丸めることです。音の角が取れてまろやかになります。二胡が古くなっていくに従い、小さく高い駒の方が合うようになっていく傾向があります。底が丸く、てっぺんは溝があります。8mmとされる高さは溝の底から測りますが、そうするとノギスは写真例のように少し斜めに入ります。正確である必要はないので大体で良いのですが、ノギスの当て方で随分違ってきたりしますので写真例を参考にして下さい。
このような状況であれば、二胡奏者にとってヤスリは必携、あるいは必携だったということになります。しかし弦堂個人については、持っている駒が多く、ある駒が合わないのであれば別の駒をあてがえばそれで済むような状況で、ヤスリの必要性に迫られたことがありません。また村山チビ駒を使うのであれば、理想的な寸法からは既に外れています。高さ8mmも一番無難な数値に過ぎません(村山チビ駒はかなりの高度があります。大陸で否定されている高度、材料、形状、大きさなど、これまでの概念と異なる部分が多々あります。この点について弦堂の方から村山先生にその是非を質問したことはありません。その理由は使えば明白だからです。内弦第二把位より高い部分の美しさを追求すると村山結論以外にあり得ない、ここを美しく鳴らすのは簡単ではないし、ここが魅力的に鳴るかどうかは演奏作品全体の仕上がりに相当な影響を与えます。内外弦は違った特徴があるのでこれを効果的に善用する場合、外弦は大概鳴るのですが、内弦が冴えないことでやりにくさを感じる場合においても村山チビ駒では、チビでなくてもかなり効果的なのです。同じ方向性でミドルについてもかなり高めに取っておられます。大陸のように材料とか表面だけパクっているようではそこまではわかりません。村山駒のバランスはかなり和楽器に近いものがあります。そういう大陸の伝統から外れたものはほとんど良くないですが、村山駒に関しては稀な例外と言っても良いでしょう。むしろ大陸を越えている感すらあります。そもそも日本の音楽は大陸ではすでに滅びた化石なのですから、村山駒が中華の伝統音楽においても十分に対応できることに疑問はありません。凛とした冴えた響きを基調として内弦の持つ艶めかしさも表現した上で、一般に西洋音楽の演奏において外弦だけを使うという奏者においても使える内弦を提供する、村山結論は最終解答の1つであるのは間違いないと思います。自作される方は参考にしてみて下さい)。村山駒だけでなく、その他のきちんと作ってある駒は外面の仕上げも綺麗です。そこを削るのは考え難い、もうそれはそれで出来上がっているのであれば、そのままで合う時に使えば良いのではないかという割り切りがあります。それに駒で悩んだことはありません。そこまで神経質になったことはありません。しかし合う駒が見つからないということであれば、そこは削ってでも合わせる必要はあるでしょう。ある程度手持ちがあれば、ちょっと変なものもあったりします。それは削って修正するべきでしょうか。その方が良い場合もあるでしょう。しかしそういう基準で常に行動していると一般的な音しか受け入れられなくなるかもしれません。それでちょっと変なものはそのまま保管しています。新しい発見の手がかりが得られるかもしれない材料としてです。大幅におかしいものは二胡が変化した時にぴったりになったりします。ちょっと変なものはずっと変だったりします。そういうことを言っていて、中国にいて駒を調べたりしていると貰って貰って結局幾つ持っているのか、数えるのも面倒なぐらいあります。といってもおそらく200ぐらいですが、そうなってくると、自分で削るという感覚になってきません。駒はそれが仮に本当におかしくても、作った人はこれで良しで販売したり人にあげたりしています。その判断を尊重したいのです。それがわかる時が来るかもしれないし、来たこともあります。だから削るといったら本当に普及品の駒になるでしょうね。スチール弦を使っていたら駒は痛むので、駒が壊れた時にその音を取り返したければ削ってまた同じように作るということになりますが、弦堂の場合は絹弦なので駒は柔らかい材でもない限り半永久に使えます。こういう弦堂のような人物であればヤスリの必要はないという例もあるでしょう。普及駒は削るのではなく、大量に見て合いそうなものを選べば削る面倒はありません。逆に削った方が楽という人もいるでしょう。どんな駒が来てもすぐに調整して合うように仕上げられるのであれば、一々探す手間がありません。
こういう状況、ヤスリがなくても大丈夫という状況になってきたのは、市場に象牙駒などが出るようになってしばらくしてからです。それまでは粗い駒しかなかったからです。以前から工芸品のような駒を個人で作っていた人もいた筈ですが極めてレアで、やがてそういうものが一般的に出回るようになってきたので改めて削るということは段々なくなってきています。環境は昔よりも良くなっています。しかし原点に帰っての駒を削るというところに戻ってみることは意義があります。なぜなら昔はそれが最良だとされていたからです。今でも呂建華のような人でさえ削るのに戻るのが一番良いと言っています。研究し尽くすと皆、原点に戻るのでしょう。しかし工芸駒の魅力にも抗いがたい、中華圏全般では大体そういう雰囲気でしょう。弦堂もヤスリを握るべきでしょうか。現状の、人にやって貰っちゃう温室状態ではなかなか難しい、それでも自分でやらねば知見は広がらないのでしょう。そこで試しにやり始めるとやはり自分で少し削って調整した方が良いですね。手工と機械生産に違いがあるのと同様、手工と言っても人によって味が変わるかもしれません。完全にマッチングするのは自分が削ったものであるのであれば、そこまで追求するのであれば、やはりヤスリは必携ということになるのでしょう。
確かにヤスリを当てるのは大した作業ではないかもしれませんが、おそらくほとんどの人が躊躇うでしょう。障害は幾つか考えられますが、最初の障害はヤスリの入手になると思います。今時、かなり良いものがネットで買えます。安価なものは使えないという、なぜなら駒は小さなもので質の悪いヤスリで削れば表面がささくれてしまって場合によっては使えなくなってしまう可能性もあるからです。ちょっとやるでもヤスリに質が求められてしまいます。呂建華が使っているのはワタオカの10型三角です(弦堂の確認ではこれはワタオカではなく別メーカーのような気がしますが、サイズは8~10型というところです)。つまり溝を掘るのは気を遣っていて他は半丸と丸がありますが普及品です。紙やすりで仕上げるから大体で良いのだろうと思います。溝は修正が効かないので神経を遣うのでしょう。しかしワタオカの半丸もあればもっと楽でしょうから、今度内緒で持っていってやります。丸は必ずしも要らないように思います。こんなことを言っていたら高級駒が1個は買える金額になります。それをやめてヤスリを買い、普及品の駒にして自分で削るか?と言われたらなかなかそういう方向にはいかないでしょうね。面倒ということもありますが、それ以上に既に二胡駒というものの捉え難さは十分に承知しているところにそれを自分で削って自信はあるか?とも思ってしまいます。忘れていましたが、ノギスも買わねばなりません。そこそこ精密に測れるタイプで1000円ぐらいです。教室でやるところもあるかもしれませんが、生徒さんからは嫌がられそうですね。意外とハードルが高い作業です。駒はほぼ出来ていて、そこを修正していくのですが、それだったらまだ一から作る方がわかりやすい感じもあります。修正というのがわかりにくい、どこを触って良いやらという感じになりがちです。だから、駒が削れますという人が現れるや、すぐにお願いしますという感じになりがちです。各販売店で店頭で代行するというのも需要は結構あるでしょうね。それでも最終的には自分が求めるものは自分で削るしかないと、そのように言われているのでここではそういう結論としておきます。電動ドリルを使ってスピーディに作業をするのはどうでしょうね。もし木材の塊から削り出すのであればそれもありますが、既製のものの修正であれば電源をコンセントに差し込んだりしている時間があったらヤスリで削った方が早いでしょう。実質はそれぐらい簡単な作業です。初めからそういう風に出来上がったものを売れば良いのでは? それでそういうものも出てきているのです。従来の安価な駒は自由に調整できるように遊びを設けてある、そのまま使うものではないということなのです。そしてかつてはそういうタイプしかなかったということなのです。
弦堂の方で検証した必要なヤスリは、特に明確な理由なくワタオカさんで検証していますが、同種のものが他のメーカーであるのであればそれでも良いでしょう。以下の型番はワタオカさんのものになります。三角については精密12型あたりが丁度良いと思います。精密の方が綺麗に処理できるでしょうし使いやすいと思います。半丸は精密8型がちょうど良いかもしれない、或いは5型というところです。これを使えばサンドペーパーは不要でしょう。その代わり大きく削れず、高さ9mmの駒を8mmに下げるのは困難です。細工ヤスリの平も必要でしょう。それだったら細工ヤスリで平をやめて半丸10型でペーパーがけ前提で使うという方法もあります。駒の底を平らから僅かに球形にカーブをつける時には精密ヤスリの方がサンドペーパーを必要としない分楽に作業できますから、3本体制が最低限という感じがします。ノギスは100均でも売っていますが、誤差を把握した上でということであれば使えると思います。0.1mm単位がわかりにくくなりますが、そこまで厳密な工作は受注するのでない限り必要ないでしょう。ヤスリは安価なセット物も見ましたが、三角は厳しく、呂建華は三角だけ良質なものを持っていましたが、1つ選ぶとすればこれは必須で、後はサンドペーパーを使えばなんとかなります。三角しかない状態で後はペーパーで済ませるのは器用でない限りあまり良い結果は出ないでしょうし作業性も悪くなります。こういう手工生産のヤスリは今はおそらく日本でしか手に入りません。中国でもかつては職人がいたのですが既に亡くなり途絶えています。その職人が作ったヤスリも呂建華に見せて貰いましたが、それは目が荒くて大きい大工用のもので駒には到底使えないものでした。尚、日本ではヤスリ鉄を味噌に付けて鍛える秘法がありますが、中国では炸酱面(ジャージャー麺)の黒いタレに漬けるようです。
自分で工作すると自分がどの程度の駒を求めていたのか、楽器もいろいろだと思うのではっきり決められないことが多いですが、それでも自分の要求は体感で理解できるようになりますから、作業する人たちが一様に「自分でやるべき」というのはわかる気がします。弦堂個人の所感でも工作は必須であると感じられますが、世の中の流れとは違うのであまり強く勧められるものではありません。こういう類の作業が好きな人がいますが、既成駒の修正ごときでは彼らの欲求を満たすに至らないし、そうでない人は如何に簡単な作業であってもこの種の事柄は嫌います。だから二胡演奏家の基本素養の1つとして駒の扱いが認められていた時代に戻るのは相当困難であろうと思うところです。最後に少し申し上げにくい注意点ですが・・・本件をここまで詳しく扱ってしまうと、各教室や販売店にプレッシャーをかけるのではないかという懸念があります。顧客や生徒に駒を提供すると「これは半完成品か?」などと言われてしまいます。それで記載はだいぶん躊躇ったぐらいです。ここまで言うと皆さんの方で大体わかられるでしょうし、弦堂は時々、皆さんの暴走で各先生方から「お前はちょっと黙れ」としばしば言われたりしています。弦堂は「悪いのはうち?ハハハ」とごまかすも「ネットが発展してから、したり顔で喋る者が増殖している」などとも言われているぐらいなので、駒を取り巻く状況については静かに見ていただきたいと最後にお願いしておきます。口数の多い方ほどおかしなことを言いますからね。もちろん皆さんの方の立場についても理解できるし、結局作業はしたくない人が多いから、ショップや教室には「すぐ使えるものを売れ」となって別の言い方になってしまったりと難しい局面が想定されるところです。しかし騒ぐ人が多いと販売側はそれに対する対策を打つので、結局悪くなるのは全体です。対策は打たせてはいけない、大陸から来たものを自然に受け入れるのが結局は最良であって、こういう民族的センスで成り立っているものは安易に改良してはならない、攻撃してそれが入荷しなくなると結局全体が困ることになりかねません。完全に大陸を理解するまで改良には手を出してはなりません。中途半端なものは中途半端がベストだから中途半端なまま存在しており、島国人は許せないんだけれども、そういう融通が利かないようだと東洋物はいろんな意味で難しいでしょう。それでもこうして弦堂が駒について多くを喋ると、駒とか調整関係に自信がある人材の仕事が増えるかもしれないという期待もあったのです。彼らはこれまでそれほど地位は高くなかったですが、それはおかしいのではないかと前から思っていたからです。そろそろ二胡界も進歩して次の段階に行く頃合いではないかということです。それで自信がある方は駒について工作も含めてもっと深めていって欲しいと期待しています。この種の作業は郵送を使うのが適しておらず、各地域にいろんな人材がいた方が良いので、結構な人数がいても問題ないし、ショップや教室と協働できることもあると思います。今の所、見つかっている駒工房などをリストします。弦堂の方で発見、あるいはご紹介で追加します。
後日、半丸を呂建華の家に持っていくと精密は細か過ぎるとのことで、それは確かにそうなのですが「これがあったらペーパー掛けが要らないでしょう?」と言いました。そうしたら「なんでも要る」とおっしゃっておられました。荒いヤスリは多少安価なものでもいけると思うので、もちろん作業性は質の高いものの方が良いですが、だけど精密は質の悪いものでは苦しいですね。だけど、使用頻度の高いものは細工ヤスリなので、そちらの方が良いものが欲しかったようです。仕上がりの方が重要と思うのですが、この辺は島人と大陸人の違いでしょうね。両方持って行けば良かったですが、そこまでわかっていませんでしたからね。しかし精密三角に関しては「これは素晴らしい」とのことで弦堂個人のものを回収しておられました。ということはやはり三角は12型なのでしょう。弦堂は三角は無くなりましたので呂建華に「要らない三角があったら下さい」と言って1つ安いのを貰いました。村みたいなところで激安で売っているタイプですね。それほど悪くはなくしばらくは問題なさそうな感じです。写真例の細工ヤスリ(右)は中国での市販品ですが、それとワタオカ精密(左)の目を比較して下さい。これだけ違うとだいぶん変わってきます。花窓のような比較的荒い材を削る場合は細工ヤスリぐらい粗くなければ使えないでしょう。それでも仕上がりの美しさは日本製の方がはるかに良く、こういう工具周りの質が中国製と日本製製品全般のクォリティの差になっているということもあるのだろうと思います。呂建華のような頻繁に工具を使うプロの人は日本製で揃えるべきでしょうけれども、流通がないのでしょうがないのでしょう。
呂建華邸には中途半端な感じの駒が結構ありますので、一通り回収してきました(下図)。袋に入っている2つはコントラバスの駒から呂師が削ったもので弦堂が「ああそう。では貰います」というと「非売品だと言っているだろ?」と抵抗するので「すごく良さそうな感じがしますね」「しょうがないな」となって確保しました。こういうことなので、駒というのはどうしても溜まってきますね。他の駒についても一通り説明を受けた上で回収いたしました。皆さんも、駒が欠けたり壊れてしまうとしょうがないですが、なるべく保管していただきたいですね。やはり古い材料の方が良い場合が多いので、とにかく保管保管が原則です。
呂建華さんはご自身が販売する二胡に添付する駒しか削らないので、弦堂が「駒を削って」というと抵抗しますが、そこは色々状況というか、物事は全て真っ直ぐではないというか、様々なことがあって、なんとか頂いてきたものが2種あります。紫檀は2号檀だと思いますが、呂建華さんが「これは良い」としているものです。楓の方は90年代の古い材料、コントラバスの駒から削ったものです。
弦堂としては呂建華さんにあまり無理なお願いはしたくありませんので、なくなりましたら一応終了です。入荷する場合も突然になります。