二胡からまろやかな音を引き出すにはどうすれば良いでしょうか? - 二胡弦堂

 


公園で京劇を演奏する老人  二胡を上手に調整して独特の甘い音を引き出したいということで、これまで努力したことのない方はほとんど居られないと思います。高い二胡を買うしかないのか考えることもあるかもしれません。音の雑味の問題だけであれば、開放弦で異音を発するのですが、どうしたらいいですか?に関連することが書いてありますのでそれを参考にすることができます。

 楽器の機能性の観点から見た場合、とりあえず音質が個人的に好ましいかどうかは一旦棚上げした上で、音の反応が良いかが重要なのでそこをまず見ていくということがあります。新しい楽器で甘い音の二胡は弓の動きに対して反応が鈍く発音が遅延する傾向のあるものが多いです。こういう二胡は音質が好ましくても駄目だと断定することがあります。こういったものを反応の速い二胡に仕立てていくことは不可能ではないですが、それよりは他のものに変えた方が良い、よほどの理由がないのであればそうした方が良いことが多いです。音の反応が鈍い二胡は拉いていると疲れてきます。反応の速い二胡は拉いていて気持ちが良いものがあります。音質そのものよりもこちらの方がすごく重要です。この観点からであれば、まず引き締まった鋭い音の楽器の入手が望ましいということになりますが、ここでは目的が「まろやかな音」ですから目指す方向性を考えると全く逆向きのように思えます。しかし実際にはそうはなりません。二胡は確実に音が徐々に柔らかくなってくるので、新琴の段階で硬いのは問題にならないからです。やわらかい音は無理やり出そうとするものではない、しばらく使って様子を見ていたらそのうち出てくるものです。

 そうすると人間の欲求とは限りないもので、柔らかくなるのであれば、逆に硬さを維持したくなったりします。引き締まった音をさらに練り上げてどんどん前進させるとある一線を越えたあたりで鋭さを通り越して音が甘くなるから、これが欲しくて自分の二胡にはいつまでもフレッシュでいて欲しいと思う人もいます。数年で蛇皮を貼替えてしまうような人はこういう傾向があると思います。中国では白木系統の駒は、楓など、そういうものは音が鋭く乾いた音がしますので好まれています。極力音を鋭い方向に持って行くと、発音は香ばしくなって甘さも出てきます。そういう狙いでこういう駒を使う場合があります。だけど、こういうのは主には音が甘くなってしまった古い二胡用です。駒は白木だけでなく黒檀や紫檀も使われます。二胡のコンディションは多様なのでいろんなオプションで調整していきますが、いずれにしても音をシャープに保つという原則は堅持されます。

 「演奏者は楽器に育てられることがある」という概念がだいたいどこの文化圏でもあります。これはいろんな形が有るので明確に規定することはできないですが、具体的にはどういう過程があるのかといったことは共通しています。製作者が二胡の蛇皮の張り具合を確認演奏者はある曲に対して何らかのイメージを持っています。それは細かい部分にも及んでいます。自分で演奏するわけですからそれは普通のことで、よくわからないような箇所があれば演奏する以上はそこは理解しようとします。よくわからない曲は演奏しないし、習って学習したりします。どうしてもよくわからないのはそれはそれで諦めたりもしながら何とかやっていきます。そうして楽曲全体に対する解釈が漠然と、或いははっきりと決まってきます。ある楽曲の特定の小さな部分に対しても、自分はこうだ、こういうイメージで奏すべきというのが出てきて、それを具体的に結果として出るように演奏上の工夫を加えたりします。それが結構うまくいかなくてまた調整したりとかいろいろ考えたりすることもあります。“優れた楽器"というのは、演奏者が思っている、想像していた以上の表現が出ます。演奏者の考えを上回る表現が出ます。そうすると演奏者はそのレベルに関しては普通という感覚で楽曲の演奏方法を考えていきます。楽器の個性もわかってくる、或いはそれに染められてくるので楽器と演奏者の思考がマッチングしてきたりもします。これが演奏者の成長に繋がります。優れた楽器は使用者に気を遣うことはないし、そもそもその方向は見ていません。長い伝統、その中から出てきた多くの表現を万華鏡のように織りなして、制作家が見た究極の姿を楽器に投影させています。多くの学習者にとってはそこは無知だし、自分にも気を遣わないので悪い楽器です。演奏者に対して配慮が欠けていることが雰囲気でわかったりするので怒ったりする人さえいます。一方でそこのところですごく気を遣っている楽器もあります。こういうのは芸術家は嫌いますがそういう人は少ないし、販売者の観点からはそうでない人のクレームの方が圧倒的に多い訳ですから、購入者に気を遣ったものは扱いやすくとても魅力的です。だからこういうのも必要かもしれませんし、特に初心者にとっては扱いやすいので有り難い楽器だったりします。そこを割り切って製造する、他にはプロもいるしマニアもいて、皆趣向が違うのでいろんな方向のものをどれも作っているという器用な工房もあります。真に美しい伝統美の世界、中国だと"毒"ですが、フラフラした中毒者から見たら演奏者に気を遣った楽器は何も見えて来ない退屈な楽器です。自分の知らない世界を見たいんです。もっと美しい。慣れてくるとそれが未知の物であっても「何かこれ主張してるな、何か来るな」というのが勘でわかります。ある意味で良い楽器がわかるのです。そういうのは小店で紹介しているもの以外でもあります。なんだかんだといろいろあって結構おもしろいです。無名の制作家でもすごい人はいます。音が柔らかいかどうかといった、そういう単純な尺度ではなく、こういうところを追求していった方が本当に満足できる楽器を手に入れられると思います。