演奏する時に相応しい音程を保つことは非常に重要です。この「相応しい音程」とは何かについてここで考えてみたいと思います。
別項「二胡の楽譜には、なぜ数字譜を使いますか?」で昔の中国人が幾何学計算によって「平均律」というものを発明し、これをキリスト教の宣教師が欧州に持ち帰ったことで欧州の楽聖たちが美しいハーモニーを宿した多くの傑作を生み出したことについて説明しました。平均律は欧州音楽を根底から変革しましたが、では平均律がもたらされる以前はどのように作曲していたのでしょうか。どの文化圏でも音楽はまず宗教儀式のためのものであって、そこから徐々に世俗化していきましたが、欧州でも同じで、古くはほとんどの音楽が宗教音楽だったので、この時に使われていた音階は「教会旋法」と言われています。グレゴリオ聖歌などで使われていた音階です。
平均律は美しい和声の調和と転調を行うために採用されたもので、単音のメロディを演奏する場合に必ずしも美しいものではありません。美しいメロディは概して調性感があいまいです。平均律の長調と短調が教会旋法のドリア旋法やフリギア旋法と異ならせているのは、明確な導音(数字譜の7に相当)の存在と主和音が長三和音(ハ長調の場合のドミソのミが長3度)または短三和音(イ短調の場合のラドミのドが短3度)であることを明確にしていることです。教会旋法の場合はこういった音を取る時に美しく流れる音程を探ります。第三音が曖昧な音になることがあります。つまり平均律だとハーモニーの美しさ、縦に重なった音の美を重視し、教会旋法はメロディ、前後の繋がりを重視します。そのため教会旋法では、音程が上昇する時と下降する時の導音(7)の音程が違うことがあります。その上、どちらも平均律でもありません。教会旋法は古い音階ですから、現代ではもはや考える必要はないのでしょうか。
現代でもメロディを美しく演奏することは重要です。しかしあいまいな音程を使うのであれば理解するのは困難です。それでそのために「ソルフェージュ」という学科が存在します。理屈も一応やりますが、それは感覚的に理解できることの裏付けとして使われるだけで、感覚が身に付くメロディの多数の羅列をたくさんこなして体感的に習得できるようにするものです。ソルフェージュを平均律で演奏するのは、いわゆる"正確"ですが、硬くて美しくはありません。そういうことを理解する練習です。そういった過去の様々な音楽が咀嚼されて現代に活用されています。グレゴリオの音階は今でもポピュラー音楽に使われています。これらはたいへん難しい話のようですが、そもそも感覚の問題なので難しいというと語弊がありますが、理論的に表現すると幾何学の分野なので難しいものです。だけどとても重要なので中学ぐらいの音楽の教科書には書いてあると思います。試験問題のネタになっただけで終わっている事例が多いので何のことかよくわからない状態で履修したことになっていると思います。
こうしたいろんな音程の探り方があるのであれば、ピアノのようにあらかじめ音程が調律されている楽器の場合は美しいメロディが演奏できないのでしょうか。ピアノは和音を鳴らして転調もする前提があるので平均律で調律してあります。これでメロディだけを弾くと確かにあまり美しくはないかもしれません。でもそこから何とか一歩踏み出せないかと考えるわけで、音程は正確なんだけど完璧ではない、だけど完璧よりも美しい微妙にあいまいな調律法というのがあって、米ピーターソン社のチューナーはこのプロの調律がチューナーで出来るモードがあります。また調律師によっても個性があります(ピーターソン社のチューナーはピアノの88鍵を調律できるようですがこれは凄いことです。こんな広い音域の音を拾えるチューナーは一般の販売店には売っていません。二胡は相当に複雑な音を出すので安価なチューナーであれば音は合いませんが、ピーターソン社のチューナーであれば合います。高価ですが)。
こういった音程上の問題は二胡奏者も十分に理解しておく必要があります。多くの中国音楽は平均律で演奏しないし、五音階が多用されます。特に4と7はかなり曖昧な位置取りで数字譜でも五線譜でも表記できません。曖昧なのに4とか7と書いてある、場合によっては#4とかb7とも書いてあるのを見て、そのまま受け取ってはいけません。常識なので全く注意書きがない場合も多々あります。この違いの例として「さくら」とか「グリーンスリーブス」を試しに平均律で演奏してみてください。チューナーを使って音を合わせてみてください。かなり違和感があると思います。もし曖昧な音に対して無頓着であれば、皆さんの演奏は中国人から見たら違和感があるかもしれません。
下の図は異なった音階(旋法)の音程の違いを示しています。スライダーが全部中央に来たら平均律です。平均律からどれぐらい音がずれているかが視覚的に示されています。C(ド)が規準になっているので、それ以外の11音が並べられています。1つ目は純正律です。2つ目はピタゴラス音階です。これは教会旋法の原形になったものです。東洋の五音階はこのピタゴラス音階と同じ方法で音が採られていますが、五音階では5つまでしか音を採りません。DEGAを見ます。それにCを加えて5つです。E(3)が少し高くなっています。五音階でもFBは使いますが、中国伝統音楽においてこの2つの音程は特殊な扱いになります。F(4)は高めに採りますが#Fまで高くしません。同じようにB(7)もbBまで低くはしません。
電子チューナーを使うのは音感を養うのに良くないとされています。気にしなかったらチューナーでも何でも好きなように使ったらいいし全然問題ないですが、この問題が気になる場合は、音叉を使うのが一番良いと言われています。音叉はA(二胡外弦開放)が出ますので、これをどこかに叩いて先端の丸い部分を耳の付近に当てます。耳の穴の前の硬い骨に当てて、頭全体に音が響くようにします。そうしないと音叉を叩いただけで音を聞くと音程が狂って聞こえる場合があります。調弦の場合に、電話の受話器を上げるとそれでもAが出るのでそれで合わせる人もいますが、音叉で頭に響かせる方が身に付きやすいようです。Aの音がわからなくなってしまうことがあるのでこういうものを使うわけですが、わからなければちょっと狂っていても演奏には問題ないし、そもそも元は歌手の音程に合わせていたので基準になる音程は曖昧で決まっていなかったのです。作曲家が作曲する時も調を考えて作っている人はいないと思います。調はだいたい後で明確に認識されます。もちろん作曲時にも当然調性は存在してるのですが、意識されることなく進められて後で確認されるということが多いと思います。だから突然自分の中でAを失って、受話器を上げて確認して感覚を取り戻すといったようなことがあっても正常ですので気にすることはありません。