二胡を使って他の楽器と合奏するのは難しいです - 二胡弦堂

 


 はい、その通り、難しいです。

 そこでチューニングぐらいはきちんと合わせようということでチューナーを使います。今までにされたことのある方ならご存知と思いますが、これがなかなか合いません。使っているチューナーにもよると思いますが、倍音を拾って狂いが出るか、倍音が発音の主要成分になっているのに根音を正確に示し過ぎるのか、何らかの理由で耳で聞いた時にはっきりずれているということがあります。チューナーが使いづらい場合があるので、耳で合わせる訓練は必要だと思います。

 どうしてもチューナーを使いたい場合は高価ですが、ピーターソン Peterson社のチューナーであれば快適に合わせられます。価格はチューナーとしては法外ですが、効果も絶大です。二胡はかなり複雑な雑味を含んだ音が鳴りますので、安価なチューナーでは使い物にならず、中国ではそういうものしかありませんので文句を言っている人が多くいます。

 二胡は最低音がDなので、西洋の曲を演奏する時に転調を考えることがありますが、そうすると合わせる他の楽器も転調の必要があります。二胡を普通のDAでチューニングしておき、千斤を下に下げ、GDになる箇所を探って演奏するのであれば可能ですが二胡らしい音は失われます。

 二胡は2つの弦の音色が違うということもあり、西洋曲を演奏する場合は1つの弦だけで演奏することが多いです。難易度は高いですがこうするしかありません。バイオリン曲の場合は高胡か板胡を使うべきだと思います。この方が合奏もはるかに容易になると思います。

 二胡も様々な音のものがあり、割と新しい感覚で作られているものはバイオリンを参考にしているものもあるので、そういうものの方が用途によっては良いということもあります。しかし古典的な二胡演奏の醍醐味からは逸れる傾向があるので一長一短ですが、中国古典曲をあまりやらないのであれば、潔くバイオリン的な音の出る二胡にした方が良いという場合もあるだろうと思います。

 編成の少ない例としてはピアノかギターに合わせるという状況が想定されますが、ギターの場合、一例として動画のような感じになったりします。弦堂の到着より前に韓軍が先に北京に着いたので数日待つ間蒋山の家に居候した模様で、暇を持て余したのか近所にある蒋山の工作室で収録して送ってきたものです。蒋山は「中国のディラン」(笑)と呼ばれている吟遊詩人で、言葉というものに非常にこだわっておられます。それで弦堂に会うと「なんだ、お前の中国語水準の低さは? 適当に喋りやがって!」と罵り、そして悶えます(苦笑)。わかりやすい無礼者です。その男が無言でギター?。珍しい映像です。サングラスなどの小道具は蒋山の商売道具と思われ、そこは彼の工作室であるから、この怪し過ぎるシチリア風の演出については全面的に彼のプロデュースだったのは間違いないところです。ネットからダウンロードしてきたものですが念のため楽譜も用意しておきます。二胡は決して音量の大きい楽器ではないですが、ギターはもっと小さくなります。彼らはそこは全く気にしていないようです。ギターの音は本当に小さいですが、それよりも適切な表現を重視していることが伺われます。韓軍が持っている二胡は安価な黒檀です。無名の若い人が作っており腕は非常に優秀です。しかし如何せん名前がありません。この動画を確認した呂建華は「これは私が作った二胡ですか」と聞いてきました。「自分の二胡に非常に似ている」と。確かにその通りで、その話を韓軍にすると「あなたの言う地方による音色の違いというのはそういう概念は我々にはない」「北京とか蘇州とかそんなものはなくて、ただ個人が優秀かどうかという感覚しかない」「しかし呂建華は自分の二胡に似ているという。確かにその通りではある」などと言いました。弦堂は「上海と蘇州、また北京と天津はだいぶん違うよ」「彼らはあまねく伝統的ツリーの下に連なっている。その中で修行したのだから、北京で修行したなら北京の音になるのは当然だ」と大雑把にはこういう話をしました。天津派がなぜ北京と異なるのかという話などもしました。南方の楽器も最近ではバイオリンに近くなってきていますが、どちらかというと北京派の楽器で西洋曲を合わせられる場合が多いと思うし、同じ北方の楽器でも天津のものは難しいと思います。


 ウィーンの宮廷発祥の有名なある楽団は、弦楽セクションと金管楽器のサウンドのブレンドが非常に美しいと言われてきました。金管のメロウな響きと弦楽のガラス細工のように精緻なサウンドが絡み合った時に独特の美しさを聴かせるとされています。価格の面から見ると彼らが高価な楽器を使っていたかどうかはわかりませんが、外国の有名な楽器を入手するということはせず(現在この楽団は世界中から様々な楽器を取り寄せていると言われ、古くからの固有のサウンドを失ったと言われています)弦楽器については彼らの職場の裏にある1件の楽器工房ですべて面倒を見てもらっていたということはよく知られています。あまりにサウンドが美しいのでこれが彼らの技術によるものか、それとも楽器が優れているのかを検証するために、別の楽団関係者に彼らの楽器を演奏してもらう実験が行われたことがあります。しかし独特の美しい響きは全く出なかったと言われています。しかも実験を行ったのはウィーン在住者でした。普通優れた楽器をプロが演奏すれば、当然美しく演奏できます。ところがそうではなかったという・・。それゆえ、楽器はかならずしも優れているとは言い難いが扱う特別な技術があって、それが得られた時に欠点が陰をひそめ、優れた部分が表出するのではないかと結論されました。この楽団は昔から裏通りの楽器店と取引していたので、長年のフィードバックの蓄積で独特な方向に進歩したのだろうと思います。彼らは合奏団ですからこの要求の中には弦楽器以外の他の楽器との相性もあったはずです。

 理想の音を追求するための努力としてはよく理解できますが、一般的にはこんなことはしませんし、ましてや二胡の選定や注文でここまでは拘らないと思います(合奏が主な活動であればその限りではないと思いますが)。そこで簡単な基準を設定するとすれば、音はスリムで硬質な方が合奏には合います。硬質の音は練り上げられると甘さが出ます。しかしこのような二胡は高額です。安い二胡は音が鈍い傾向があります。黒檀製の多くは音は鈍いものの人気はあります。それでも好ましくないとして一部の工房では黒檀製二胡を製作しないところもあります。しかし黒檀でも(必ずしも本黒檀でなくても)良い物は少ないながらあります。しかし合奏には合わせにくい場合が多いと思います。

 もしピアノとかギターなどいつも合わせる楽器がはっきり決まっているなら、ご自身のイメージの音を持っている二胡を選びやすいかもしれません。数を見ないといけないのでたいへんですが、必ずしも世間で優れていると言われている二胡が個人的な楽器の組み合わせの上で要求に適っているとは限らないので、必ず自分の中に明確な基準が必要になると思います。

 また音響を使う場合は東洋と西洋の楽器は考え方が全く違うので、つまり楽器の発声の原点の考え方の違いが音響機器や録音技術も異ならせている面があるので、そこでどのような最終回答を得るのかは、どのような作品を作りたいかということと不可分の関係があります。つまり現代の音響機器を使えば二胡と言えども西洋の概念で録ることになりますが、西洋の楽器が含まれていたり、作品自体がそういう方向性であればマッチングすることになります。またその逆も然りです。

 合奏において二胡を幾つか使う場合は、自分の好みもあれば合奏仲間の好みもあるので、異なった楽器を使うことになりがちです。良い悪いは別にしてただ違うキャラクターの二胡を使うというそれだけですが、その場合、片方の楽器の音色が消えることがあります。もちろんそういうのはかなり極端な例なのですが、片方が割とまとまった音を出していて一方が逆位相を含んだ雑多な音を出せば、その片方が音をほとんど消されます。弓を変えればなんとかなると思いますが、状況にもよりますが根本的に相性が合っていないということはあります。消されているのは片方だけではなく実際には両方なので、ただ一方はもっと雑多な音を出していれば残る音もあるというだけにすぎないのですが、こういう問題がより小規模に発生していれば気がつかないこともありますし、厳密に言えば同じ楽器を使っていない限り、どの場合でも発生している問題とも言えます。この問題はマイクなど音響機材を使った時により明確になるということもあります。また二胡同士ではなく、別の楽器との間でも干渉が発生することもあります。解決はコストのかかることですし、全体で統一するのは難しいので止むを得ずある程度は容認せねばならないこともあると思います。

 音響機器で拡声するのは今や割と普通になってきていますが、しかし一方、聴衆の方は生の音を聴きたくて来ている場合がほとんどです。音響機器を通したものであれば家で聴いた方がましですから当然です。とはいえ、演奏者側からすると人間というのは存在するだけで結構音を吸うし、大勢の人がホールに入ると非常に楽器の音が小さくなりますから、どうしても拡声したくなります。だけど本当にそうすべきなのかはよく考える必要があります。今のテレビとか音響機器が吐き出す音量に慣れると生演奏は大概音が小さいので不安になりますが、実際それで問題はないはずです。折角の演奏だからガッツリ聴いて欲しいと思っているのは演奏者側の勝手で、聴衆はちょっと違う考えを持っている場合がほとんどでしょう。演奏者の中にもできれば生の音を聴いて欲しいと思っている人も少なからずいる筈です。特に芸術面、ショーのようなものではなく、内容をしっかり聴いて欲しいと思っている奏者であれば、できれば生で音を届けたいと考えるのは自然なことです。それで可能ならなるべく音量を増したいということなのですが、できることはそれほど多くはありません。有力な方法の1つは弓を戯劇用のものに変えるというものです。二胡の弓は古くは76cm、現代では83cmと長くなって来ていますが、もっと長い86cmを好む奏者もいます。古い76cmに戻せば、これは多く人を集めた環境で鳴らされるためのものなので、音は通りやすくなります。演奏会場では短い方が優勢です。長い弓は張力の安定している範囲も広いので演奏はしやすいですが、芸術面にこだわる奏者がそういうものは求めないと思うのでそこに問題はないでしょう。そういう弓の入手はかなり難しく、恐らくは特注に頼るしかないと思います。演奏も慣れが必要かもしれません。弓は馬尾の両端付近は物理的に固定されているところに近いので張りは強くなります。短い弓であれば張力の変化が大きくなり、一定の安定した音が出しにくくなります。そもそもクラシックな中国音楽はそういう安定など不要なので全然問題になってきませんが、しかし安定した一定の音は短い弓でも十分に出せる筈です。そもそもそういう音が求められるようになって来たのは欧州でもはっきりと厳密には決められないですがおそらく後期ロマン派あたりぐらいから、もう少し遡ればおそらくワーグナー以降かもしれませんが、大雑把には20世紀以降の音楽をやらない限りはそういう概念自体がないと思います。中国でも演奏される作品がいわゆる現代化してきてから弓が長くなってきたものと思います。そして弓が長い方が落ち着いた音が出て心地よいという要素もあります。中国の古い音楽は「毒」の含有量が重要なので心地よさは意味がわからない、根本的な概念自体が異なっていますが、そういう違いへの考察はできるなら理解した方が選択肢は広がると思います。結構響きすぎるホールで演奏する場合、長い現代弓は音がボヤけやすいので、短い弓で対応できればそこはアドバンテージになります。一方で長い弓を扱えるメリットもまたあると思います。

 下に現代の二胡弓(83cm)と古い戯劇用琴弓(62cm)を比較しています。材料はどちらも竹なのですが、現代の二胡弓は細い竹を使うのに対して古いもののある種は、この写真例もそうですが、もっと太い竹を削って作っています。しなり具合が異なるだけでなく、使い勝手はずいぶん違います。かなり通りやすい音です。

戯劇用琴弓

 多重録音にすれば音のバランスは取りやすくなるでしょう。


 ピアノは難しいですが、こういう電子的なものであれば比較的容易だと思います。


 ついに暇が高じてきて、こんな風になってしまいました。