二胡は紅木と呼ばれる材を使って製作されます。紅木には、紫檀、黒檀、花梨などいろんな種類があります。これらの材の二胡に適した部分は丸太の中心に近い部分です。中心は割れやすいので避けられます。中心に近いところから外側に向かって採材されます。弦軸付近には棹よりも材の比較的柔らかい部分が使われるようにしています。
このように工作されるのは胴で鳴らされた音が棹を伝って上へ抜けるためで、すばやくスムーズに音が抜けていくのが理想です。しかしそこに節があると流れが悪くなるようです。それで古楽器の多くには節を抜いて材を埋めているのがよく見られます。(下の写真参照)
現代二胡の多くは節を処理していないようです。処理を加えて手間を掛ける程の効果はないと見なされているのかも知れず、節を埋めると見た目の問題で顧客からの印象が良くないのかもしれません。現代と過去ではモノの見方が違うのでしょうがないと思います。材に補修箇所のようなものがあれば現代では不良品になるでしょうけれど、昔は製品というより"楽器"として作っていたわけですから節の処理は必須だったと思われ、古楽器を見ると必ず埋めてあります。
しかし花窓に関しては節や材の状態の問題で一部に継ぎがあるものがあります。ここは柔らかい材をあてがうので問題が多い箇所ではありますが、継いでそのまま製品化しています。これを欠品とみなす顧客は中国でもいます。そういう状況のところにさらに棹にまで補修を施そうものならまたクレームになりますから、、そういう工作自体がなくなっていっています。今や節の処理はほとんどの工房で受け付けないと思います。
尚、別の見解としては、かつて中国では木材を扱うのに節を処理することは普通だったということも考えられます。これは楽器だけでなく、家具などもそのように処理されていたということです。日本にも中国にも古代建築があります。それには大きな柱があります。中国の古代宮殿の巨大な柱はすべて節が綺麗に処理してあります。日本は節だらけのものもあります。それだけで見た目の印象がぜんぜん違うこともあるぐらいです。これは日本と中国の感性の違いだろうと思います。その延長でただ単に楽器の節も処理されていたのかもしれません。
最古の木造建築・法隆寺の柱は節が丁寧に処理されています。