どうしても気に入った音が出ないので、高級品を購入して解決しようと思います。 - 二胡弦堂

 


 販売店に上記のような宣言を行うと「大いに結構です」と言われます。商品を勧められますが、買ってはみたものの良くなかったということはあります。事実弦堂もお問い合わせいただいた方の楽器をみていないのではっきりわからないものの、ある人が今持っているものが気に入らないということで、話だけ聞いてそれだったらこれがいいんじゃないかということで、ある楽器をご提案をしてみたものの、その方にとっては良くなかったということがあります。商品が決して安くない場合もありました。(しかしそういう人というのは、自分では悪いと思っているけれど実際にはすごく良いものをたくさん持っている場合が多いですね。見せていただくことがありますが、これで不満だったら何だったら良いのですかと言ったこともあります。)

 そこで結局はどうすれば良いのか、と思うようになります。もっと混乱するかもしれませんが、1つおもしろいお話をしたいと思います。弦堂は兵庫県の宝塚市ですが、となりの西宮市に上杉佳郎(うえすぎよしお)というクセの強い親父が住んでいました。"いました"というのは引越したわけではありません。数年前に長期睡眠に入られましたが、生前はアンプという装置を作るので有名でした。この装置はスピーカーの前に繋いで音を拡大するためのもので、ラジオやコンポには当然入っていますが、音を拡大する部分だけ1台に分けて専門的に作るというものでした。親父は英国のタンノイというメーカーのスピーカーを気に入っており、自身のアンプとのマッチングは最高であると自画自賛しておりました。それでタンノイを持っているある顧客が親父のアンプを購入しました。しかし客は音が気に入りませんでした。そこで客は親父に電話し「あなたのアンプを買い、総額数百万円を投じましたがどうしても良くありません」と訴えました。親父は客に質問しました「どんなケーブルで繋いでいますか」客は数万円もするケーブルを奢っていました。親父はこう言いました「一度騙されたと思って近くの電気屋に行き、m10円ぐらいの一番安いケーブルを買って下さい」と言いました。数日後、客は親父に「素晴らしいです。ついに理想のサウンドが手に入りました!」。親父の鼻はますます高くなり、このエピソードを自ら専門誌に寄稿したのです。もうだいぶん前の話です。

 芸術関係のものというのは、これぐらい難しいです。上杉はあらゆるものを知り尽くしていたので価格や評価に惑わされることなく、多くの選択肢の中からベストのケーブルをチョイスできたのです。安いものというのは製造コストが単に安いということを意味しているに過ぎず、芸術観点から見た場合の質とは関係ない場合があります。それだけ言うと納得しない方もおられると思うので、ケーブルというものについてもう少し突っ込んだ話をしてみます。結局、配線の類いというのはエジソンとか後進がいろいろ発明した後に必要になったものです。それも急に桁外れに大量に必要になったものです。つまり電話とか軍事用の通信などの類いです。全米に電話線をいかに効率よく張り巡らすかということで考えたのが、当たり前のようで難しい「信号をロスしない線」でした。幾ら遠くに張り巡らしても信号が極力失われないケーブルです。そんなもの作れますか。作ったんですね。ベル研究所というところが開発しました。製造はウェスタンエレクトリック社でした。このケーブルは今でも作っています。これより良いものがないと言ってまだ買っている人がいます。オーディオに使う場合は無駄に10m使います。長過ぎるので束ねますが、邪魔になっても構わず10m以上で使います。遠くに信号を送るものなので短いと性能が出ないのです。凄く音がクリアに浮き上がります。最近はそこそこ値段取っていますが、元来安いケーブルです。大量に作っているものだったから。同様に通信会社が普通に使う緑のチューブに入った銅線がありますが、ホームセンターに行ったりすると1m10円ぐらいかそれ以下で買えます。これは値段の高いケーブルよりも高性能です。大量に作っているから安く、専門家が認めたクォリティを維持したものです。質が落ちると通信会社がわかりますから落とせないんです。質と値段が比例しないことはだいたいこういった理由から発生します。敦煌牌の弦なんかは安いですが、安物の品質ではないですね。ほとんどサービスでばらまいているのか?と思うぐらいです。半国営が大量に作っているからでしょうね。共産国はこういうのはありますね。儲け主義かと思ったら意外と国はそうでもない、春節の大混雑時には高速道路の料金所が渋滞の原因であるとして無料開放します。いやいや、稼ぎ時じゃないんですか。いきなりそういう太っ腹なことをやってきます。毎年普通にやっています。北京の公共交通は最近になってようやく少し値上がりしましたが、それまで「アフリカの未開地域並の価格」ということで、バス一回乗ったら日本円で円安計算でも8円ですが、これで何時間もかかる距離の移動をしたりします。あまりの激安で市バスの経営は火の車ですが、毎年予算編成の時期になると北京市長が会見して「今年も料金は据え置きで赤字は税金で補填いたします」と発表し続けていました。記者会見しないといけない程に大問題になるぐらい安過ぎるのです。価格は商品を選択する上で参考にしかならないということですね。もちろん高価な品の方が良いこともありますが、いずれにしても背景にそれなりの理由があります。

 さてここらへんで「二胡も安価品を買うべきでしょうか」という質問が出そうです。材が優れたものを買うべきとは思いますが、価格は必ずしもすごく高いとは限りませんし、高価なものがあまり良くないということもあります。材の質が最高に良くても、だた中古だというだけで安いなら、それはお買い得です。いささか不適切な例ですが、iPhoneという非常に高価な携帯電話があります。これは中国で5000元します(日本が3000元相当ぐらいの時期の話です)。私はある日、杭州の街を歩いていました。そうしたら前方から1人のウィグル人が近づいてきて、至近距離から手を出してモノを見せました。私は「幾ら?」と聞きました。ウィグル人は「600元」と言いました。私はそれを弄くり「香港版じゃないですか」と言いました。(注:香港版は世界のSIMカードを刺せるので当時は非常に高価。日本でSIMフリーが出てから価格が下がった)彼は「わからない」と答えました。コピー品ではなく、本物のApple製だったので、私は盗品と気がつきました。二胡で盗品はほとんどありませんが、そこを省くと二胡でも似たようなことが多くあるのです。自分の楽器の価値がわからずに弦堂に安値を提示して売り払う人です。(誤解のないように付け加えますと、私は件のiPhoneを購入していません。何でも良いものなら買うというモラル喪失者ではないと、ここは上杉ばりに見栄を切っておきたいと思います。それに安い携帯しか使いません。さらに付け加えますと私は上杉が嫌いなわけではありません。1回しか話したことがありませんが、紳士的な対応でした。ただそれにしても突っ込みどころの多い親父です。虚栄心の強さを前面にはっきり打ち出してきます。ナルシストです。これだけ自分に正直に生きられるのはある意味羨ましいものです。)新品の二胡を製作する人は、材を買いに捜します。印度紫檀と言えども、良い材と悪い材があります。良い物を見極めて製作している制作者から購入できるならそれがベストですが、価格は最高に高いかどうかはわかりません。材は丸太かある程度製材された状態で買います。中身がわかりませんし、材木業者からすれば、ある材が楽器には合うかというのは興味がありません。それで良い材を丸太の段階で見極める技術があれば、彼の二胡の価格は必ずしも高くならないという、そういう道理もあります。

 そろそろ本題に入りたいのですが、まず始めに「良い楽器を安く買いたい」或いは「幾らでも払うから良い楽器が欲しい」はおそらくどちらも間違いです。とにかく「良い楽器」というのが意味不明です。長年良い楽器を求めてあれこれ買ったけれど見つからない、二胡とはこんなものらしいと諦める人が多いですが、これもおかしいと思います。弦堂は幾つかの工房の二胡を販売していて、いずれも中国で最も良いものであると言っていますが、良いものはこれだけではないです。もっとあります。違った個性のものもまだあるし、有名無名を問わないし、良い二胡なんか一杯あります。それも凄く満足できるものが結構あります。ところが「巡り合えない」とか言う人がいます。それだったら巡り合いまくっている弦堂はおかしいのでしょうか。説得力のあるものが、あれもこれもあるから増えてくるし、本当に頭の痛い問題ということで悩んでいる北京の文化人は少なくありません。とにかく二胡という楽器はいろんな考え方や個性を表現する懐の広さがあるんですね。これだけ花開いた状態なのに「見つからない」とか言われても「はあ?」と思ってしまいます。言いにくいのですが、おそらくそれは楽器の問題ではないです。中国文化を学ぶのは難しいですが、それをどうやって克服するかを真剣に考えないと楽器は見つからないと思います。でもわかってくると、違った個性のがあれもこれも欲しくてたまらなくなるんですよね。銀行残高を見て足りなかったら発狂しそうになるんですね。知らない方がいいのかもしれませんね。いろんな味の毒を吸引したくなる、初めは「自分だけの二胡が欲しいです」とか言いますが、そんな考えはわかってくるとすぐ忘れますよ。ランプ毒漁りの方が面白いに決まっているからです。そしてやっていると結局は自分だけの二胡ばかりになってしまっているということもあります。分かっている人の所有している楽器は良いところが伸びますからね。良い二胡というとまずはわかりやすいところでは材料ですよね。木材にしろ蛇皮にしても良いものを使うと良い楽器となります。本当か? いろいろやっていくとこれが必ずしもそうではないんですね。もっと大事なことがあります。弦堂は自分の持っている古楽器の修理で敢えて安い材料を指定することさえあります。高いのはかえって駄目になることがあるんですね。適材適所なんですよ。安い材しか出ない音もあるし、それが欲しいこともあるんです。でもチープなペラペラの音だったら駄目で、厭きの来ない染み入るようなサウンドがなければいけません。うまく組んだら実に滋味豊かな毒が出ますが、それは高級材ばかりだと出ないこともあるのです。だけど全部安い材料を使うかというとそんなことはありません。結局、値段とか世間の評価じゃないんです。物自体が何物かということなので、高い材に安い蛇皮も有り得るし、何もそれがアンバランスなわけではないのです。蛇皮は安いけど、あの職人に貼らせたら凄いだろうな、できてきたら、ど真ん中!とこういう感じでやるわけです。安いのは何かいろいろ理由があって安いのだけれど、粗悪品とそうでないものが混在しています。質が良いものもありますが、それは高級品と同様、個性があります。違うものなので欲しい方をチョイスするというだけです。それで高級品に行く場合にいきなり天然蛇皮を奢ることもあります。金額関係なしに良いものを何でも使っていきます。話だけ聞いていると良さそうですが、たいていの方が探しているいわゆる「良い二胡」は違います。ブランドも要ります。何か分かりやすいものがないと良くありません。だからそういうものは始めに持っておいて精神的に落ち着きを得なければ、遊ぶのも楽しめないでしょうね。それと文化を広く知っていないといろんなものを楽しむのは難しいですね。自分のやり方考え方だけだとその狭いストライクゾーンに入ってくる二胡は極めて限られるし、たぶんそれは見つかりません。考えただけで疲れますね。見つかってもどんどんクレームつけてパスしてるんじゃないですか。ここまできて何だかたいへんな話だなという感じですが、そうなんです、二胡はかなりたいへんな楽器です。だけど奥は深いですね。それがまた難しさの原因だったりもしますからね。ネットも動画とかいろいろありますけど、直に体感というにはほど遠い感があるし、なかなか難しいですね。だけど日本程、良い先生に習える国はありません。中国で割と有名な先生に習うと高額がかかりますが日本はそんなことはありません。おそらく貧富の差が影響していると思います。日本で二胡をやる多数の富豪が市場価格を上げるということはないですからね。有名な先生が必ずしも肝心なことを教えるとは限らないし、難しい問題が多いです。こういうことを全体としてまとめて考えないと良い二胡は手に入らないと思います。