絹弦は、古楽器に使うものではありませんか? - 二胡弦堂

 


門  その通りです。古い二胡をお持ちの方は大抵それに合わせて絹弦を使われるようです。現代の二胡は金属弦を使うことを想定した設計になっていますので、制作者は絹弦ではチューニングしていない筈です。それでも絹弦の使用には差し障りありません。金属弦の黎明期には、絹弦でチューニングされた二胡に金属弦を取り付けた筈で、その後絹弦を駆逐していった経緯がありますので、どちらでチューニングしているかという議論自体意味がないように思われます。ただし、最初新琴の段階では、その二胡には今後どちらの弦を使うのか確定した方が良いと思います。絹弦とスチール弦ではずいぶん違うので、しばらく絹弦で鳴らしていた楽器を突然スチールに変えたら鳴りが合わないということがあります。それでもまたしばらくスチールで鍛えるとなじんではきますが、こういうことはあまり好ましいとは思えません。

 絹弦は古いとして敬遠する考え方が中国では一般的なのですが、これは一般論なのであって、さすがにあれだけ人口が多いと一般的考えに同調しない人も結構多いですから、絹弦はしばしば売り切れて苦情が出ます。年々愛好家が増えています。品薄になることが増えてきています。売り切れればスチール弦を使っておけばいいでしょうか。そういうことを言うと怒る愛好家がとても多いです。日本民楽では絹はいまだ最高の弦ですし、西洋ではガットは非常に高級でプロが使うものです。西洋でもかつてはスチール弦が最高とされていたので、時代の流れの中で見識が熟成されていくと中国でも大勢が絹弦に戻る可能性はあります。中国でも古琴ではずっと絹弦が最高の選択で、別に中国だからスチールという訳ではありません。二胡の場合は文革期の改革があってスチールに変えられているので、それが気に食わないと考える中国人がスチールを捨てることもあります。捨てなくても良かろうと思いますが、そこは好みですからそういう人もいるということです。

 文革期の二胡の改良で、二胡は現代のものに統一され、弦も金属になりました。伴奏楽器はピアノが使われることも多くなってきました。ピアノもスチール弦なので、二胡もスチール弦にしたら合うのでしょうか。そういう問題ではないと思います。バイオリンはガット弦でもピアノに合うわけですから。しかし、スチール弦の採用で二胡から中国臭を取り除いたことによってピアノに合わせるなどのアンサンブルに対応しやすくなったのは確かだと思います。西洋は合奏が主ですから、それぞれの楽器に明快さや透明感を必要とします。そうでないと音が混濁します。せいぜい倍音ぐらいが許容されている程度です。中国は違います。特に弦楽器は一把で高音から低音まで出します。音域があるという意味ではありません。1つの音を出した時にそこに含まれる成分がとても多いということです。だから他の楽器だったらチューニングできるのに二胡はできない人もいます。チューナーですら安物は二胡をチューニングできません。こういう特性に当惑する人もいます。自分の二胡は不良であると考える人もいます。二胡は本来は戯劇で使われていたのですが、その一把で劇場全体を支配する力を必要としていました。今の二胡は規格が違うので別物ですが、古楽器はそういう意図で作られていました。そこで透明感のある音は使えないのです。一把で低音から高音までの色んな成分を持った音を吐き出します。低いのか高いのかよくわからん音を出します。そのバランスがミソなのです。音量を稼ぐのに数把重ねるといったような西洋オーケストラのようなことはできません。やってますけどね。聴いたら違和感あるでしょう。一把一把がパーツとか脇役に徹することができない、全部大将でずらっと並んでいたらぜんぜん噛み合わないのは当然です。基本一把のみで劇場を支配します。支配者を何把も並べて同時に並立はできません。現代二胡は昔程のインパクトはないのでまだ良いですが、しかしイデオロギーは引き継いでいますので、バイオリンとは違い、今でも二胡はほとんどの曲を無伴奏で演奏することができます。現代二胡は規格と弦を西洋化したもののようですがそれでも無伴奏で使えます。古楽器は絹弦を使うことで支配的な力を漲らせます。それで古楽器を使うのにスチール弦は有り得ないという意見が主流になっています。絹弦はスチールより音量が小さいのは確かですが、古楽器は小さくなるので音は通ります。それに劇場の音響(古い劇場の音響は素晴らしく、電子機器を必要としません。不思議なものです)に乗って響き渡ります。