絹弦は、スチール弦と同じように使用できますか? - 二胡弦堂

 


養蚕。絹は二胡弦の材料になる  指の押さえる圧力、弓の速度など、音色や音程を左右する要素に違いがあるのが感覚的にすぐに感じられます。しかし基本的な使用法という観点から見るとスチール弦との大きな違いはありません。

 昔は地方や村の年長者が先生で、全国的に統一されたメソッドはなかったし、そもそも演奏していた音楽や楽器も異なっていました。そうしますと、いろんな奏法があったであろうと想像されますが、しかしやることはといえば、単に弦を押さえるだけですから、基本的にはどこも一緒なのではないかと想像できます。今は西洋の影響(この東西での文化的交流は何千年にも亘る伝統)でよりバイオリン的なものが良しとされる傾向があります。バイオリンの奏法は速いパッセージを演奏するのに有利なので、自ずと優位性を確立することになったものと思われます。しかし昔の音楽でも速い旋律はあって、西洋から持ち込むまでもなく充分に必要な奏法は考慮されていたわけですが、西洋の場合、バイオリンという楽器が二胡に比べて融通の利かない楽器故に逆にあれこれと細かいところを確定しやすく、メソッドもわかりやすくしやすいことから良い部分を取り入れる意味で改善が進められたものと思われます。この過程を振り返ると、どっちも一長一短なのではないか、あれこれとできることが多い方が表現上有利である反面、一定の制約下の方が単純化して明快であるということも言えますので、どちらが優れているということはこの点だけでは断定できないものと思います。

 四胡という楽器は弦が四本になりますから、指を寝かせて平行に押さえます。まるで弦を握ったような押さえ方ですが、二胡もかつてはこのような奏法だったと言われています。これでは換把が難しくなりますが、基本的に第一把位でしか演奏しないのでそれほど問題にはなりません。しかし換把は後代の曲ほどではないにしてもある程度はありますので、その場合はこのままの押さえ方で構わずやります。ここから離れて現代の奏法に変わっていった時期というのは劉天華以降だということがわかっています。おそらくその少し前から変わっていった、劉の師で周少梅と彼の友人で盲目の孫文明による二胡という楽器そのものの改革ぐらいの時期と考えるのが妥当なように思えます。これも西洋の影響だったのかまではわかりませんが、彼らが西洋から多くを取り入れていたことは知られています。つまりここで言う現代的奏法とは、指の先で弦を押さえるおなじみの奏法ですが、しかしこれも昔からあって、具体的には奏者がメロディの処理において狙う表現によって指を当てる位置を微妙に変えていたようです。そこをそんなことをせずに固定させる方向に向かったのは民国期ぐらいであろうということです。孫文明については録音が残っていますが、過去及び現代のどちらの奏法も使っているように聴こえますが、これらは50年代の録音なので彼らが今後の方向性を確定させたわけではないと思います。物事は発展して進歩するとシンプルな方向に向かいますので、指の押さえ方の統一に関してはその反映であろうと思いますが、旧時代の奏法を堅持し続けると二胡の様々な技巧の発展を阻害する恐れもあったということも考慮されたものと思われます。過去の奏法にはそれ独自の技巧がありますから得る物があれば失うものもあったということになります。孫はそのあたりをわかっていたように思えます。文献によると過去の奏法は1指は現代と同じです。2指は第二節の根元付近で抑え、3指は第二節で押え、4は現代とほぼ同じですが23指が違うのでそれに応じた位置になります。4は指の腹で押えます。おおまかにこういう掴み方です。つまり14指はだいたい同じで、23指は現代とは異なっていることになります。それを全部同じ押さえ方にして粒を揃える現代奏法は1つの魅力を捨てています。そこで基本的には現代奏法で通しておいて、あるポイントでは指の腹を使っていくような奏法は戯劇であれば現代でもあります。このように指のどの部分を使うのかは、これも1つのテクニックだったというのは孫文明の演奏を聞くと理解できます。この点、絹弦を使うといって特別なものはなく、基本的にスチール弦とは単に材料が違うだけです。どの弦を使うかに関係なく、古曲と現代曲では演奏法へのアプローチは異なります。そして現代でも、古曲の奏法がわからないようでは10級がクリアできないことになっている、普通に二胡をやっている人は中国では平均すると5年で10級なので途中で脱落しなかった大概の学習者は5年以内で絹弦時代の奏法をスチール弦でやっており試験もそれで受けるのです。審査員の老師もいろいろいるので個別にどういう判断をするかわかりませんが、少なくとも考級委員会の要項では絹弦時代の奏法ができないと10級は貰えないのです。二胡弦の押さえ方のバリエーション必ずしも絹弦を使うことは義務ではないので絹弦の奏法とは書いてありませんが、漢宮秋月に必修扱いでチェックが入っている時点でそういうことになります。大陸の言い方ではいわゆる"民族風格"が重要と書いてあるのでこれを現代作品の奏法でやると却下されます。二胡は東南アジアにも伝播しましたので、当地では老人で古い奏法の人は今でもいますし老師が年配者であれば若い人でも古い奏法でしかも換把までやります。こっちの方が確かに味はありますね。それでも全体の流れとしては現代奏法になっています。もっとも、昔からずっとこうだったのかもしれません。東南アジアの音楽は広東・潮州が起源ですので潮州音楽の資料を当たりますと左の写真のような押さえ方が出てきました。図13は全ての指を指の腹で押さえています。音色は力強く、渾厚とあります。しかし指の運行には不自由さがあるので採用箇所は選ばねばならないとあります。図14は1,2指は指先で、3は先か腹、4は第一或いは第二関節目の腹で押さえるとあります。この押さえ方は実用的で小指に力が得られるとはいえ、比較的遅い曲に採用されるとあります。使う指4本は元々粒が揃っていないので、どの指で押さえるかで音色が違うのでどの音をどの指で押さえるかが重要になってきます。

 漢宮秋月は音程を下げて弦を緩めた状態で演奏するのでスチール弦でも割りと問題なく演奏できると思いますが、古曲の多くは普通にDAで調弦する、もちろん緩めてもいいのですが、そうしなかった場合、スチール弦は堅過ぎるので指が痛くなるかもしれません。しかし演奏自体は問題なくできます。使っている素材が違うだけですから。それと絹弦はスチール弦と弓の速度も違います。具体的には弓の長さが異なり、絹弦時代の弓は76cm、現代は83cmが標準で、7cm短いと相当なものです。下の写真を見ると、上が76cm、下が一般的な83cmの弓ですが、83cmの方は皮のグリップがあるところを持ちます。しかし76cmの方では平行する位置は持つことができず、手1つ分前を持ちます。馬尾の有効幅が7cmぐらい失われます。有効幅で見ると1割ぐらい短くなります。僅かなようにも見えますが、現代では83cmに対して元は二泉胡用だった86cmを使っていったりすることもあるので、その3cmがかなり大きいということを体感していれば、76cmは相当なものだと思われると思います。中央の音量が安定する部分が7cm減るということになるわけで、1割なんていうそんな僅かな感覚ではないのです。一定の音量の長音を響かせるという発想自体がない作りなのです。しかし現代では絹弦でも普通に83cmを使います。それで76cmの感覚で弓を擦った時になかなか端までいかない、中央の安定的な部分だけを使うことになります。旧来の76cmだと弓の中央と端も使っていくので音量は不安定になります。この不安定感がないと表現が平たくなってしまう、西洋音楽みたいになってしまいます。弓の端と中央の張力が違うことで出てくるムラがないと往年の名手のような表現はどうしても出しにくくなります。ここまでこだわらなくてもいいいかもしれませんが、旧時代の演奏を真面目に考えた時には重要な要素です。弓は長くなっていくのがトレンドですが、それは安定指向であることを意味しています。古い方に向うと弓は短くなります。

 光舜堂さんで西野社長から社長直々に開発された天下一の琴弓がいかに素晴らしいかについて詳細な点について拝聴していた時に、西野社長が「絹弦はこの弓ではいけない」、弦堂「では、どのような弓がよろしいでしょうか? 京胡用の弓を使ったりもするのですが」、社長「京胡用だったら良い。とにかく毛を平たくしているのが良くない。絹弦には全く合わない。本当はスチール弦でも良くない。中国の製作家がバイオリンの弓の技術を単純に移植したことによってそれが現代の弓の基準になっているが、そもそもバイオリンの弓毛は単に平ではない。バイオリンの弓毛は弦に対して斜めに当てる、その部分、片側の方がわずかに毛が多くなっており、それができる弓職人が優秀とされている程である。絹弦に対して理想的なのは中央の毛量が多い弓である。スチール弦についても然りである」。西野社長がこの原則に気がつかれたのは、馬頭琴の奏者から毛替えを求められて、やり方がわからないので、その奏者から説明を受けながら交換した時だったとのことです。弓の長さの違い馬頭琴は弦にも馬尾を使うので我々よりも馬尾について敏感なのだろうと思います。どうしてこういう張り方なのかということまで説明したとのことで、その基本原則は全てに当てはまるということのようです。二胡弓の先端付近に付いている毛を平にする金具は楽器の胴に当たると傷をつけるので嫌って外す方もおられると思うのですが、外す理由はそれだけではないということになります。

 中国も急速に経済発展していますが、こういう中で絹弦はどうなっていくのでしょうか。これも失われていく1つの文化だろうと思っていましたが、意外なことに愛好家が増えていて入手困難で困るようになってきました。弦堂が日本で絹弦を販売しているという情報を聞きつけた中国人からのアクセスもあるぐらいです。生産体制をもっと強化してほしいのですが、なかなか難しいようです。それと同時に古楽器も人気があって良いものは入手難です。これまでは老人ぐらいしか使っていませんでしたが、最近は特に裕福な趣味の演奏家が多く収集家もいますので、なかなか良い物を見ることが難しくなっています。