人間の耳は、周波数にして20~20kHzまで聞くことができると言われています。(実際には耳以外の体の皮膚からも音を捉えるのでもっと広範囲の低音を捉えることができ、高音は50kHzまで聞くことが可能なようですが理論上扱わない、しかしハイグレードの音響では50kHzまで検討されるようになってきています)。楽器から出ている音が演奏者によって違うなら、それぞれの周波数帯で音の大きさが違う、ということを意味します。例えて言うなら、1kHzにおいてはある人の演奏の音が大きければ、別の人はkHzで大きいとか、波にずれがあるということです。人によって骨格とか肉体の質量が違うのでこれが出音に影響があることがあるからです。この大きな周波数帯のところで楽器がよく響くようになるのであれば、二胡の音質の変化と成長は所有者によって違うということになります。もしある人が10年拉いていた二胡があったとして、それを誰かが借りて拉いてみたら、本来その人の演奏は2kHzで弱かったはずなのに、そこも奇麗に出るという楽器固有の際立った個性が載ると思います。美しい音で鳴らし続ければ、楽器の持つ素性も良くなると思います。これがまず1つの要素です。
もう1つは、全体的な音量についてです。音は大きければ、倍音というものを発生させます。小さければ、ほとんど発生しません。倍音は響きとも言えますから、これを浴びせ続けられたものとそうでないものとでは当然音に違いが出てくるものと思います。二胡は皮を使っていてこれに響きが載ります。駒から響きが伝達され、放射状に響きが記憶されるので、駒は位置を変えるべきではないと言われます。二胡の場合は駒の位置を移動したりはしないので問題にはなっては来ませんが、高胡であれば位置は幾つか考えられるので、楽器ごとに確定させた方が良いと思います。
この2点で響きと個性が決定づけられるのではないかと思います。蛇皮だけでなく木材にもかなり響きが乗ります。コンディションの悪いものは蛇皮を交換しますが、そうすると有る意味、新琴に戻ることになるわけですが、それでも新琴では有り得ない程すごく響くものがあるからです。
こうしてみると、絹弦とスチールでは違いが出るということになると思います。
二胡は人生に1把を共にし、それとともに自身も朽ちてゆくのが美しいとされています。そういうものが事実あり、死後に遺族によって売り払われたものが売られていることがあります。美しい音でなりますが、あまりに個人の個性が染みついていて、自分には馴染まないと思うことがあります。新しい蛇皮、白いキャンパスの方が癖がなくて良いと思うこともあります。これが名手の所有物だとまた違った印象になるのかもしれませんが、このことは二胡とどのように付き合っていくかを考える1つのきっかけになることがあります。