二胡はなぜ中国を代表する楽器ですか? - 二胡弦堂

 


上海京劇院  二胡は中国を代表する有名な楽器としてよく知られています。しかし昔からそうだったのでしょうか。「二胡」とは結局何なのか、このことについて本稿で考えてみたいと思います。(ここでは拉弦楽器のみに限定して論じます。)

 中国は広大なので、全土に様々な弦楽器があります。しかし「中国」の領域については時代によって変遷があり、かつては黄河流域から文明が開かれ、やがて版図を拡大しては、またある時には衰退して縮小したりもしました。しかしそれでも首都が置かれていた中心地域はほぼ決まっており、その地域は「中原」と呼ばれていました。ここに長安という都があり、現在は西安という都市ですが、ここからシルクロード方面に鉄道で旅行するとしばらくは平地が続きます。短時間で宝鶏という都市に到達し、ここがほぼ平原の果てとなり、以降は険しい山の中を激しい揺れと共に進んでゆきます。蘭州に着くまで、またそれ以降も穏やかとは言い難い旅で、あまりに山深くて神秘的ですらある程です。それでシルクロード交易の観点から見るとどうして長安が大きな都市になったのか容易に理解できるように思えます。山岳地帯を通過して大きな平原が現れたところに多くの人が住んでいる大都市があり、それが彼らの考える目標地点である"中国"だったのです。以降、さらに奥地にある洛陽、またさらに進んで北京、或いは絹の生産地・蘇州と、"中国"というとかつてはこういう地域のことを指していました。そうであれば、これらの地域の代表楽器こそが中国を代表する楽器であるはずです。

 しかし二胡はこれらの地域すべての楽器ではありません。しかもシルクロード西域から北京に至るまで幾つもの代表楽器があるわけではありません。北京には京劇で使われる「京胡」(jing-hu)という楽器があり代表的なものですが、北京も含めその他の地域では別のほぼ共通の楽器が使われています。「板胡」(ban-hu)という楽器です。本来、正統的にはこの板胡を以て中国を代表する楽器と見るのが正しい見解と言えます。

 二胡は江南地方(上海とその周辺)の地方楽器です。中国中央とは本来言葉も異なる異文化、外国の楽器です。外国というとおかしいかもしれませんが、例えて言うなら日本人の観点から見る沖縄音楽という、それぐらい違うものです。

 中国の拉弦楽器はかつてはすべて戯劇の伴奏のためのものであり、すべては"人の声"の伴奏楽器であったことを考えると、江南絲竹(jiang-nan-si-zhu)という室内楽は独特のものであったと言えます。他には承徳の宮廷音楽もありますが、これは民間のものではない宮廷という特殊なニーズのための音楽です。19世紀末に周少梅(zhou-xiao-mei)という江南絲竹の大家がおり彼と、盲人演奏家で後に上海民族楽団の顧問となった孙文明(sun-wen-ming)の2名が二胡の音域の拡大を試みて二胡独奏のための奏法を開発したとされています。彼らの奏法や概念は現代では常識、基本とされています。周の歩みは弟子の劉天華(liu-tian-hua)に受け継がれ、困難を経て天津音楽学校(現在は北京に移転して「中央音楽学院」)を設立して中国民族音楽を専門に教える学校を史上初めて作ったとされています。このような流れは当時まだ板胡の分野ではありませんでした。上海という外国の文化が流入する地域を文化圏に持っているという独特の条件も二胡の発展を後押ししたのかもしれません。

二胡、板胡、高胡の分布図  このあたりで楽器の勢力図を確認しておきたいと思います。中国の地図を見て下さい。省毎に区分けします。板胡の版図は西から、甘肃,陕西,山西,河南,山东,河北,北京,天津と北方漢族の領域を網羅しています。二胡は、上海,江苏,浙江,安徽です。これがまだ交通が発達する前の、そして現代にまで残る中国古典音楽の分布です。これはさらに細かく細分化することができ、板胡の方はかなり大雑把ですが、二胡はとなりの町に移動しただけでずいぶん違います。音楽そのものはもちろん違うのですが、楽器も違うのです。上海の豫劇は六角の木製の二胡を使いますが、無錫は丸い竹製となり、別の戯劇では木製八角を使うものもあります。それで街毎に二胡の規格が違っていたことになります。使う弦の太さや音程範囲も異なっていました。それで現代のように規格が統一された二胡の古楽器は存在しないことになります。古楽器と現代楽器は違う楽器という見方も可能ですが、そうであれば今の基準での「二胡」という楽器は文革以前には存在しなかったことになります。現代二胡は文革の頃に規格化されたからです。文革以前は独奏楽器として考えられた二胡はなかったと考えてよいと思います。それで現代の中国民族音楽を代表する「二胡」は中国古典音楽から出てさらに進化した全く新しい楽器ということができなくはありません。阿炳は、二泉映月を録音した時に錫劇用の二胡を使っていました。彼の二胡が竹製であったことは有名ですが、彼の出身地は無錫であり、当地の二胡は胴が竹でした。(現代の錫胡は半分が竹で半分を木製として作っています。)さらに弦は老弦と中弦を使いますので音程がGDとなりますが、現代では楽器の材料も弦の材料も変えてしまって音程だけを考えて新しいものを作りそれを「二泉胡」と呼んでいます。阿炳がもし復活して二泉胡なるものを見るや間違いなく驚くと思います。同じような違いについては二胡についても言えます。現代二胡は数十年前までは中国になかった楽器です。

 ここからがすごく重要な部分ですが、二胡の存在の在り方を考えた時に「二胡を学ぶ」とか「二胡が演奏できる」というのはつまりどういうことなのか、おおまかに2つの考え方があると思います。二胡は伝統楽器から派生していながら同時に伝統から脱却しています。それで周囲の長年二胡を演奏している方、多くの中国人老師たちも伝統演奏についてしっかり教えられないと思います。習いたいと思う人も少ない筈です。中国の大学を卒業しても古典伝統曲の相応しい演奏法はよくわかりません。しかし有名曲の相応しい演奏については難なく学べると思います。二胡は新しい楽器なのでこれで問題ないとするのが1つの方向性、別の方向はその逆です。その場合はかなり学習が困難です。まずかなり少数派になりますから、老師を探すのが難しくなります。それで1つの方法としては、板胡の老師を探すことです。なぜなら板胡は二胡とは違いまだ伝統演奏の風格を残しています。板胡の老師の側からみても板胡の生徒は少ないので、板胡の老師の中には二胡教師を名乗る人も多くいます。板胡の老師は中国北方の伝統音楽を知っているので、まずはこのエリアについてはある程度学べるということになります。元の二胡が派生した地域の音楽も江南地方の老師を探して学ぶ必要がある場合があります。いずれの場合でもすべて二胡を使って学ぶことができます。板胡の曲を二胡で演奏することは珍しくはないので、すべて二胡を演奏しても構わないと思います。

 二胡がまだ現在の形になる前に、これを小型改良してさらに南方に派生した高胡という楽器があります。30年代以前には高胡はなかったのでバイオリンが使われていて今でも使用されます。高胡を使う文化圏、広東省と香港ですが、この地方の音楽は中国の別の地域の音楽とは異なり独特です。これも十分演奏できるなら、中国胡弓奏者と立派に名乗れます。二胡奏者としては、江南音楽がわかっているだけでも二胡演奏家というのに問題はありませんし、そうでなくても世間一般の基準の二胡奏者になってもよいかもしれません。

 二胡を長年演奏している場合は特に、こういう由来背景が不明瞭なことが原因で、何かの機会に違和感を感じる場合があると思います。日本の伝統音楽ではこういうことはないからです。向かう方向性を自分の意志で決める必要が場合によってはあります。