伝統音楽と西洋化 - 二胡弦堂

 


 上海は近代まで寒村に過ぎませんでしたが、欧米日列強が租界を設けたことで清後期以降、急速に発展しました。音楽の分野においてもここで東西が混じり合ったのは幸福な融合として今なお懐かしまれています。これは実際の所、そんなに簡単なことには思われません。確かにこれまで人類の歴史を通じて文化の融合はありましたし、有名な例ではジャズがアフリカ音楽と欧州クラシックが発祥であるとか様々に新しいものが生み出されてきましたが、よく考えると例えば日本古来の和楽とインド音楽の融合は簡単とは思えません。恣意的にやってできるものではなさそうです。しかし京都にインドコミュニティができたら(既にあるかもしれませんが)何かが生まれそうな期待感があります。

 上手く行ったり、ソリが合わなかったり何かと難しい文化の融合ですが、中国は歴史的に成功を続けてきた地域で、アヘン戦争以前に出荷されていた陶磁器は欧州人の好みを反映したものでした。それでも欧州の様式には成りきれませんでしたが、むしろそこが人気を博し、貴重なものとして現代でも博物館に収蔵されているものもあります。ボーン・チャイナという言葉もあります。中国製は最高級の品でした。遠い国のものだったから評価されたのでしょうか。日本の文化も元を辿れば大陸からのもので、音楽も江戸時代までさかんに輸入されていました。中国音楽は先進国の文化でした。それぐらい説得力のある確立された独自の様式を持っていましたが、他国の文化とは合わないということもありませんでした。これは凄いことです。大陸文化のもつ懐の深さが感じられます。中国は文化面以外でも様々な分野で現代に至るまで世界にフィットしてきたことは既によく知られたところです。そのため世界中、中国製で溢れています。これも凄いことです。しかしここで考えたいのは、上海以降の音楽文化の融合についてです。音楽面における中国の西洋化です。

 現代二胡は西洋化されたものです。西洋の楽器になったわけではありません。中国のままなのですが、現代人を取り囲む音の尽くは西洋理論に基づいており、それは現代の映画やテレビ、大衆音楽、広告はすべてそうですから、二胡も周囲の環境にフィットしたものになってきています。この作業を最初に始めたのが劉天華でしたが、しかし彼は民楽(中国民族音楽)の復興の方が熱心だったので、西洋化を殊更重視していたわけではありませんでした。彼が残した民族音楽譜は数百あったと弟子の娘・蒋青が証言しており、それらは彼女の家にあって後に文革で焼かれたと報告しています。一方、西洋の様式を取り入れて作曲されたものは10曲が知られています。現代の二胡奏者は、劉の作品がこの10曲以外に練習曲ぐらいだと考えていますが、この経緯を見ると、当時の中国人が西洋化を非常に重視していたことがわかります。数百を脇において、10曲を重んじるわけですから。当時の概念は四五運動という社会全体の動きに繋がりました。我々も知っている漢宮秋月などの作者不詳の伝統譜は、実際には伝統譜ではありません。漢宮秋月であるとか、その他の牌子は古くからあり作者不詳も事実ですが、しかし我々が持っている漢宮秋月の二胡譜は劉以前にはありませんでした。劉は広東音楽の漢宮秋月のレコードを聴いて書き取ったと証言したので、そこで当該レコードの音源を入手して調べると、調べるまでもない、全く別物でした。詳細に聴くと、これをあの二胡譜に仕上げたのかと、劉先生の見識に恐れ入るほどです。完全に新作だといっていいでしょう。しかしこれをもって劉天華作とできない政治的理由があります。劉大先生は西洋化を進められた巨人、という前提が重要なのです。業績の多くをカットされてもまだ偉大というのも凄いことです。

 西洋化に向かう大きな社会的推進力の中で、中国各地に散っていた独自規格の伝統二胡を集約してまとめる作業が文革頃には確立されましたが、我々の持っている現代二胡はそのようにして生まれたものです。これはまず、わかりにくさを廃している点で優秀なものです。外国にもよりフィットします。かといって中華も捨ててはいません。ちょうど具合が良いものです。ネガティブな印象も残る感がありますが、古楽器あたりに手を出すと現代が如何に優れているかすぐにわかります。大いに結構なように思うのですが、不満を抱いている人々も多いです。彼らは京胡、板胡、広東高胡に行って戻ってきません。そして二胡をそれらの楽器のサポートとして頑なに昔ながらの使い方に徹します。楽器の制作面はどうでしょうか。現代では上海派の二胡を使われている方も多いと思うのですが、有名だから使っている例が多いと思います。ブラインドテストをするとあまり人気がない筈です。一方、蘇州、北京は有力です。蘇州は昔から変えていませんが、北京は現代化しました。そのため北京派の製作家の中には二胡を作らないという人も少なくありません。琵琶などの撥を使う楽器に移ります。状況を調べるため彼らの作った二胡が非常に優秀なのを確認するなりすぐに連絡をとりますが、彼らはあまりにも誹謗を受けているので、初対面の発注者に対して喧嘩を売ります。「二胡?そんなもの作るか!」と言って追い出しにかかります。それでこちらは「あなたの製作された楽器は当方の手元にあります。非常に古典的な風流な響きですね。それで現代人から嫌われているのではないですか?」と問います。「そうだ」と言って静かになります。こういう人は数人ではありません。多くの製作家が二胡から離れています。古典的な音がわかる人は大陸でも少なくなってきています。このような二胡は西洋理論で肥えた現代人の耳とは相容れません。

 そこで「古典的な音」とはどういうものなのかというのをここで説明を試みたい、それはまず、凛とした姿、物腰の柔らかさが表現できる音です。昔の場合は音楽というと男がやるものなので、男性観点の女性的なものが美徳とされます。女性からの視点は関係ありません。ですから女性にはちょっと難しいです。女性の方も昔の概念は男性観点ということをまず踏まえて下さい。昔の奏者は女性的な芯の強さを求めていました。それはどこか氷のような透き通った質感で、まっすぐに妥協しない骨格と優美な曲線が同居し、尊い存在を感じさせるものでした。これらは現代の感覚と相容れるでしょうか。現代社会は男女平等、実際はともかくそういう流れになっており、まず男女というのはありません。ですから理解できなくなってきています。西洋由来でわからなくなってきています。男と女から考えないと古いものは理解が難しいです。女性観点の男性はどうなのでしょうか。弦堂の所在地は宝塚市というところですが、とある劇場であるとか少女漫画などでそういう文化がまた別に育ってきていますので、そういうものもあるかもしれませんが、古典は基本的にこういうものはありません。古典の女性は恋心を歌っても、どこまでも私、私の自分中心という特徴があります。男性像が今ひとつはっきりしません。男というのもあってもいいのですが、いずれにしても男女がわからないというのはあり得ないという感覚です。変なことを言って申し訳ないですが、男女しか考えていないという感じさえします。この前提をまず置くというのが西洋化した現代人には意外と難しいのですが、音楽家は本質的に男女がないと厳しいかもしれないですね。音楽はそういうものなので。では「女だったらだめなのか」と思う方もおられると思うのですが関係ありません。コテコテに女のままで堂々といけば良いでしょう。関西圏以外の方はご存じないと思うのですが、上沼恵美子ぐらい、そのまんまで行けば良いです。それが変に男みたいになったりするからおかしくなるのであって、はっきりしているのが重要です。古典においてはですが。

 古典的な感覚が残っている例で、ここで潮州を通して見てみたいと思います。東南アジア文化の発祥地です。潮州にも独自の二胡があって、これは入れ子式の二重胴です。そのため胴の容積は非常に小さくなります。潮州二弦という地元の伝統二胡はこれとは違い広州の高胡と同じ高い音域ですので、もっと胴が小さいものです。蛇皮の貼る部分の木材を薄くするために二重胴を採用する念の入れようですが、ここまでこだわったことで、古典的な凛とした音を体感できます。二重胴は、潮州人が上海二胡や広東の高胡あたりを見て、彼らの考える最高のものとして製作されたものです。ですから伝統側に寄ったものです。元々、宮廷楽師が潮州に逃れて齎されたものなので宮廷の響きなのです。二胡を作ってもそこは妥協しないようです。潮州二弦は高音以外に、椰子の殻を使った低い音の楽器もあります。この2種立てというのは中国胡弓の伝統で、北方の板胡も2種、京劇も2種で、伝統的に高低2把に分けます。

 潮州文化圏で省境を跨いで福建省の方に入りますが、アモイに行った時に観光客用の劇場に行きました。鼓浪屿(gǔlàngyǔ)という昔の西洋建築群がある島が世界遺産に指定されており、そこの海天堂构(hǎitiāntánggòu)で演奏を一定時間間隔でやっています。ここで見られる二弦は低音の方です。生演奏の環境で二弦の音はほとんど聴こえませんが、動画では二弦を中心に撮影しております。



 中東から東南アジアにかけての擦弦楽器は全てではありませんが「ルバブ」と言います。インドネシア・バリ島のガムランもルバブ(写真はWikiから)という弦楽器を使いますが、こちらは金属打楽器が主要なアンサンブルなので、もっと埋もれて全然聴こえません。しかしルバブがあるのと、ないのでは全然違うとされます。ルバブはRebabですが、英語で反響はReverbです。リバーブの語源はルバブと思われます。西洋人が残響のように存在するルバブの音色を聴いて共通点を見出したのかもしれません。通奏低音のように響かせます。動画では鼻にかかった芯の細い弦楽器の音が聴こえます。高音の楽器は笛子の代わりとして前に出てきます。それでもそんなに音量が大きいものではありません。三絃や琵琶を圧倒する程の音は出しません。劇場も非常に狭いですし蚊のような音で演奏します。涼しげだからでしょうか。

 現代二胡のように音を大きくしようという感覚自体がないように思えます。かなり繊細で神経質な音です。中国の古琴も欧州系の言い方ではサロンのような規模で演奏されますが、二胡もそういう伝統を引き継いでいるので元の北京二胡も、今とは全く違う細い風流なサウンドでした。天津派も、硬い木が響いている感が強い、芯のしっかりした乾いた音でした。これらは淘汰されて無くなりました。潮州派もこの系統に属します。これらは西洋の概念では理解できないものです。

 しかしこれとは別に、大きめの劇場で鳴らす大きな音の楽器もあり、それは弦楽器1本で劇場全体に響かせるものでした。二胡は伝統においては主奏楽器ではなかったので、後代に音量を増したものでした。その時に西洋化も進められました。この結果、わかりやすくなったものと、わかりにくくなったものがはっきりし、後に残した伝統は理解しにくくなりました。中国音楽は本質に迫るのに超えて行かねばならないものが結構多いように思います。しかし伝統のままでは、これほど演奏人口は増えなかったと思います。