魅力的な二胡演奏ができるようになるには、どうしたらいいですか? - 二胡弦堂

 


京劇俳優  二胡のような擦弦楽器は、所詮は人間の声の代役に過ぎません。声ほどすばらしい楽器は世界広しと言えども他にはないとされています。それで二胡は沖縄から大和(日本)には定着せず、三線、三味線によって声をバックアップする方を好んだようです。胡弓はほとんど日本民楽では無視されています。以前は中国でも似たような状況で、こちらでは琴を使い、二胡は地位の低い楽器だったようです。高貴な楽器として認識されるようになるまで多くの苦労があったようです。このあたりは劉天華の改革などが知られています。

 この低評価だった理由は"偽の声"という考えがあったからだと思われます。そうしますと、おそらく二胡を上手に弾こうと思えば、声楽を参考にするのがいいかもしれません。古くはクラシック、ジャズから、現代でも人気のあるポピュラー歌手は大勢いますが、優秀な歌手はどの時代も非常に豊かな表現力で聞き手を魅了しています。どれでもいいですが、これの真似をするのが非常に有効なのではないかと思うわけです。その流れで中国には京劇の名段を二胡に置き換えて練習する本もあります。

 また重要な点として、楽器の学習と音楽の学習は全く別のものである、という点も考えないわけにいきません。二胡は教則本を頼りに練習を積めば上手になるかもしれません。しかし、それだけではスポーツと同じですから、ただ上手なだけの演奏になってしまうかもしれません(しかし上手だったらそれで良いと考える人もいます)。音楽性の豊かさを身につける訓練は、楽器の練習とは別に行う必要があります。それでもこの訓練はあまり難しくありません。昔から言われている最も重要なものは、バッハの優れた演奏をとにかく繰り返し聴くことです。特に声楽付きの編成の大きい宗教作品は重要です。

 バッハを聴くということは、西洋音楽を聴くということになりますので抵抗がある場合もあるかもしれませんが、バッハに関しては別格扱いで考えなければならず、どの音楽を学ぶ場合でも、まずは重要なものです(そもそもバッハの出現自体が中国の影響を無視できないので関係ないものではないのですが)。魅力的な演奏には、表面だけに留まらない深い魅力が、技術感性の両面で備わっているものですが、自身の内奥にあるものをどのように表現するかは、その方法を学習する必要がしばしばあります。「感情豊かに演奏して下さい」と言われても、わからなくて困った経験がお有りの方は、この意味を容易に理解なさると思います。わからなければ感性が鈍いのではなく、表現したいものを音楽化する技術を学んでいない場合がほとんどです。この基本を身につける最良の方法が、「バッハを聴く」ということで、ここにすべてが集約されています。しかし、ここから高みを目指すのは困難です。ここで言う、進歩とか円熟性とは、多くの他人の感情をどれだけ理解できるか、という風に置き換えられるとされています。万人の抱く複雑に異なった愛情、悲しみ、憎しみ、喜びなど多くを理解したときに、その音楽は国境や時代、才能を超越します。

 聴くのはバッハに限らなければならないわけではありません。とにかく音楽を聴くに勝る学習はないので何でも聴けるならどんどん聴くべきでしょう。「私にはレコードが命から二番目位大事なので、戦時中にも荷馬車に積んで疎開先をあちらこちらと持廻ったので、今でも多少残っているのは嬉しい。・・とにかく、私にはレコードが先生でもあるので、月謝を払うつもりでよい新譜が出ると毎月求めることにしている」- レコード夜話 宮城道雄。"二番目ぐらい"という言い方がいかにも宮城検校らしいという感じがします。2番目じゃないということを言外に匂わせています。宮城道雄は盲人です。奥様は目が見えますが、最初は箏の弟子で、結婚してから夫の"目"になることを決心したようで、そのため箏を演奏しなくなったようです。ただ何も言わず黙っていたとのことです。それに対する敬意が「レコードが2番目ぐらいに大事」という言葉に表れています。奥様の気持ちを尊重して自分の命は1番にせねばならない、仕事を果たすことによっても奥様の犠牲に答えなければならないのでレコードは2番目と答えたのですが、実際には違うということを「ぐらい」という言葉で表現しています。しかし普通、レコードよりも楽器の方が重要なのではないでしょうか。いかに録音が軽視できないかはこのことからもわかります。

 東洋の音楽は感情表現というものの概念が西洋とは異なっています。そもそもが楽曲の構造も異なっていますので同じように扱うことはできません。それで当然ながら東洋の音楽も聴かなければ東洋の音楽は理解できません。西洋では楽譜に対する忠実性が重んじられますが、東洋では基本的な音のみが書かれている伝統譜が多くあります。その作品が生まれた地方の音楽をよく聴いていなければ、どのように演奏するのかわかりません。

 巨匠たちは高みを目指す戦いで最も厳しいのは、自分自身との戦いである、といいます。1930年代にウィーンで圧倒的な名声で頂点を極めていたブルーノ・ワルターは、演奏会の前にしばしば楽屋の片隅で背を向けてじっとしているところを目撃されていました。それを見た周囲の人々は「彼はモーツァルトの霊と交信しているに違いない」と考え、この話は伝説的に広がっていきました。ある記者会見の時に、本当にモーツァルトの霊と交信できるのか尋ねられたワルターは、その見解を即座に否定し、こう言ったと言われています。「私はあのようにして、自分が小さなものであることが理解できるよう、いつも繰り返し神に祈らなければならないのです」。当時の権謀術数に満ちたウィーンでこのような考え方の人は希で、だれもが偉くなりたいと考えていたので、この回答は当時のウィーン人にとって非常に衝撃的だったと言われています。成功できるよう、大金持ちになれるよう神に祈る人は幾らでもいましたが、自分が小さな存在であることを忘れることがないよう助けを求めて真剣に祈る人はほとんどいなかったのです。神がどうの以前に、巨匠になるぐらいの人材ともなると生き方が全く違うことがわかります。

 この戦いを別の観点からも考えてみたいと思います。晩年に「最も神に近い」と言われ、圧倒的な成功を収めたオットー・クレンペラーは、あるジャーナリストとの対談で、彼が到達した高貴さと才能との関連性について質問され、その時にクレンペラーは自分の言葉では回答しようとはせず、聖書を取り出してその1節を朗読して黙ってしまったと言われています。その箇所をわかりやすいリビング・バイブルで引用するとこうあります。ひらがなと漢字もそのまま保存して写しておきます。「私は自分に言い聞かせました。これまでのエルサレムのどの王より、いろんな勉強もした。どの王より知恵や知識を得た。私はりこうになろうと、一生懸命に努力しました。ところが、今ではそんな努力さえ、風をつかまえるようだとわかったのです。りこうになればなるほど、悲しみも増えるからです。知識を増すことは、悩みを増すことにほかなりません。」- 伝道の書1:16-18。これは、至高の芸術家が直面する苦悩をよく表しています。

 これが、ある人が最高の芸術家になってゆくときに通ってゆく、だいたいのあらすじです。ただ有名になってリッチになればいいだけでしたら他にも方向性はありますが、歴史に残る演奏を創造するための方法は他には見つからないと思います。それで、この分野にどれだけ真剣に取り組むかは人によって違うと思います。優れた芸術家の登場は、当人にとっては苦悩を意味するとしても、周囲の人々にとっては大きな恵みです。敢えて茨の道を選択する人は、立派な道を選択したのであり、そういう人が多く出てくれば良いと願わずにいられません。