世界のあらゆるものを「好き嫌い」で見ることについて - 二胡弦堂

 


 すでに日中関係が悪化してどれぐらい経つのかわかりませんが、皆さんは日本人の多くが嫌っている国の楽器をやっている"変な人"です。しかもこれだけ長期化しているので、現在二胡を奏する多くの方は日中関係が悪化してから始めているという状況になってきているのではないかと思いますのでなおさら"変"です。"変な人"が集まり過ぎている。だけれど、なぜか表題のような問題が生じることもあります。

 皆さんは二胡奏者か或いは何かの楽器をやっているかに関わりなく、楽器を演奏する以上は演奏する曲を選択することになります。その時に何かの録音物や動画を見たり楽譜を読んだりして新しい曲を探すことがあります。その時に決まって「これは好きじゃない」といったような感覚的好みで物事をすぐに判断する人がいます。別に物事に対して好き嫌いがあったからといって悪いわけではないですが、常に好き嫌いを持ち込むのは問題なので、我々は小学以来、学校教育で文科省が重要だと決めた、しかし個人的には「好きではない」科目も強制的に履修させられ、常識ある社会人として生きていけるように訓練されています。これを「我慢を強いる」ものだと見做した人は子供の頃に当った先生が良くなかったのでしょう。気の毒ですが、この点で進歩が止まっている人は結構多いので、これまで弦堂とメールで話していて、弦堂が何かの答えに迫るのに「例えばこの曲であれば・・」という具合に話すと相手は「これは好きではない」と即答する人がいたりします。「あなたの好みは聞いてないし、そもそもそういう話はしていない。なぜ例をあげるのにあなたの好みをまず勘案しなければならないのか。考えたくなかったら始めから何も聞いてくるな」と言って追い出します。しかしそういう方は同じように他でも追い出されており、二胡の先生、家族からさえ相手にされていないことしばしばです。ここまでなってくると考えを修正できた人は一人もいないと思います。その背景にはこういうものがあります。「好きでないものには熱意を以て取り組めない」。これはきちんと義務教育を受けていないからこうなります。ただどこかの小学に通っていただけです。あるいは、おじいちゃん、おばあちゃんが言うことを聞き過ぎた、という原因もあります。何となくの感覚で好き嫌いを選別して嫌いなものが出たらパソコンの電源がシャットダウンしたみたいになって思考から何から何まで全てが止まってしまいます。こういうことであれば社会で生活するのは難しいですが、どういうわけかたいていは二胡を購入できるぐらいの収入はあるのです。しかも世の中の人間はある程度はこういう傾向があるものです。世界はまだまだ不思議が多いものです。

 生活していくために嫌いなことも我慢するということはあるかもしれませんが、趣味で別に好きでもないことをやるという場合はどうでしょうか。これができるようになったら、あなたは"我慢"というものをほとんどしなくて良いでしょう。そもそも知らないから好きでもないわけで、そこにミステリアスな何かを求めるとそれは必ず見つかります。だから好き嫌いとか我慢とかそういう話がまず出てくること自体が不自然なことです。ソクラテスによる「無知の知」と呼ばれる理論がありますが、自分の知らないことに目を向けるのは教養の表れであって、これができなければ本質的な意味で進歩はありません。好きというのはある程度知っているから好きなのであって、未知のものがすでに好きであるということはありません。なんとなく自分の守備範囲の中だけでやっていれば、大衆の愚に陥ります。視野が狭くなります。多くの人は自分自身をそういった環境に置くことを好みますが、プロの演奏家に対しては容認しません。プロが何となくの好き嫌いでしゃべっていたら質の低い人に見えますし、そもそもそういう人はなかなかいません。それでは成功できないからだろうと思います。

 ここに来ている人は二胡奏者の方がほとんどですが、そうであれば自分の知らないことにも取り組んだ人なので、少なくともこの点、幾分かはましな状態にあることになります。しかも、敵視されている国の楽器をやるに際して「好き」でやり始めたのかどうかわかりませんが、少なくとも"狭い"人でないのは確かです。それぐらいの質の人間が楽曲を選ぶ段階で好き好みを言うのはおかしいですが、実際にはそういうことはあります。人によって環境が違うので、たまたま守備範囲の中に二胡を受け容れる余地があったというそれだけだったら何ら立派なことはありません。そこで「視野を拡大するにはどうしたら良いか」という問題が出てきます。つまり、自分の周囲には好きなものしか置かず、そのエリアの範囲外には嫌いなものが横たわっていますが、実は内心では、エリア外にも進駐して占領を完成させたいと思っています。もう思っていたら、その時点でほとんど問題ない筈ですが、だけどどうして良いかわからない人は結構います。征服戦争は簡単に見えます。それでとりあえず知らないものも喰ってみますが、どうもうまくいかないということがあるからです。「征服よりも支配の方が十倍難しい」という言葉があって、進入して勝ちを収めるのは意外と行けるのですが、その後が定着しないので、占領してエリア内に取りこめないのです。支配を完成させる目標から逆算して侵攻計画を立てないと失敗するので難しいのです。その計画は対象物を良く理解していなければ立てられません。ちょっと待って下さい、知らないものを得るのに、その前に知っている必要があるのですか。そうです。だから難しいのです。それで老師が必要なのですが、それでも本人の考え方が間違っていれば老師もどうしようもありません。この点で基本となる姿勢について見ていきます。

 ある人がアインシュタインに、

Einstein remarked that creativity is all about asking the right questions. When asked what he would do if given one hour to save the world, Einstein replied that he would spend 55 minutes to understand and formulate the problem, and 5 minutes to execute the solution.

 大きな危機、例えば地球の滅びが迫っていて、持ち時間が一時間有るという場合、どのように創造性を発揮しうるかと質問しました。

Einstein said,“The formulation of the problem is often more essential than its solution…. If I had one hour to save the world, I would spend the first 55 minutes defining the problem and the last five minutes solving it.”

 その答えはこのようなものでした。2回答えていますが、一段目では「問題を理解し公式化するために55分、解決を実行するのは5分」。二段目では「定義するのに最初の55分を費やす、問題を解決するのに5分」。一時間しか持ち時間がなければ、全部の時間を使って解決に全力を上げないといけないんじゃないですか。二胡は時計のように正確に音程を合わせるべきか?違うようです。何と!問題の把握に55分も使うようです。いやいや、危機が迫っているのは最初の0秒の段階でもうわかっているでしょう。違うのです。「知っている」から始めるのではなく、「知らない」からスタートします。そして知るために55分を使います。そうであれば行動は5分で十分ということです。どういうことでしょうか。具体的に例を挙げましょう。神が地球を滅ぼすことにします。そして人類に対して「一時間後に地球は滅びている」と告げます。テレビを点けると、すでに東京都庁が崩れてきている映像が流れています。死者も多数出ている模様です。渋谷の自宅から、どうやって郊外に避難するか考えないといけません。しかし切符は買えません。知り合いのJR社員に電話して横流ししてもらい何とか東京からは逃れられそうです。切符が買えないという人がたくさんいて東京駅では暴動も発生しています。自衛隊が天から舞い降りてくる軍隊に応戦しています。それでもやがて東京は壊滅します。もう時間は5分しかありません。しかしある少女が世界にこう問いかけます。「どうして神様は怒っているのでしょうか」。その時、世界の人々は戦ったり争ったりすることが誤りだったということに気がつきます。人々は互いに助けあうようになります。神は地球を滅ぼすことを後悔します。そして終末時計はついに最後の1分を差します。世界の人々は静かに見守ります。1分、2分・・5分経ってもその針は動きません。時に、問題の根本原因を見いだすのは簡単なことではありません。それゆえ、アインシュタインは持ち時間の大半を、理解し定義するために使う必要があると考えました。ソクラテスは無知であることをまず理解することが重要だと考えました。孔子曰く「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」。

 あらゆるものを好き嫌いで選別していく考え方は傲慢で忌むべきものです。自分が皇帝になって森羅万象にジャッジを下すような行為です。この克服はとても難しいことです。ゴキブリは好きですか? 受け容れろと言うのですか? これだけ上からジャッジを下しても良いですか? 世界から消えてなくなって欲しいです。こういったことが1つあると、2度目、3度目もあります。それが物事を理解することから遠ざけるということです。好き嫌い以前に、あなたの家の隙間を塞ぐ方が余程有益です。ゴキブリが好きで研究している人もいますが、そういう人でも家の隙間は塞ぐでしょう。中国曲で時に理解しにくい作品があるかもしれません。しかしそれは魅力があったから紙に印刷され外国人である我々にも入手できるようになっています。それは何なのか? それを理解するまで最後の5分に達することはできないでしょう。