これはよく西洋楽器をやっている方から、幾らか批判と侮蔑すら込めて言われることがあります。ここに来られた皆様もこのような反応に直面したことがお有りかと思います。人それぞれいろいろな考え方があるので、反論したり訂正してやろうと思う必要はありませんが、正しい見方を知っておくことは良いことです。
「民族音楽」という言葉があります。これは、ラテン系の言葉では「エスニック」と言います。異民族の文化とかそういうものを意味していますが、誰から見て異民族なのでしょうか?
音楽の発祥は中東で、かつては政治的にも文化的にも中東が世界の中心でした。古代ペルシャ帝国とそれ以後のマケドニアの諸侯が支配していた時代まで力を保っていましたが、後に植民都市の1つに過ぎなかったローマが優勢になり、古代世界を支配下に収めました。ここで注目するのは、覇権がアジアからヨーロッパに移転したということです。ところがイスラムの帝国時代には、アジアが世界最先端の科学技術と高度な文明を持っており、東ローマ帝国が滅ぼされ、スペインまで征服されるに至りました。この流れはまた逆転し、ヨーロッパの僻地にある英国が産業革命によって力をつけて世界を征服し、欧州が最も文明的で先進的だと見なされるようになりました。このように最も力を持った民族が世界の中心になるので、これを基準にすると(今後はどこが強いのか、わからないものの)欧米中心主義というのがあって、それ以外は傍流、マイナーと見なすという道理になります。こういう政治的な要素で芸術の価値を判断する考え方は通常、文化人は持たないもので、これには民族は関係なく、個々の教養レベルで考え方も変わってきますが、そこまで考えようという人は非常に少ないということを納得しておく必要があります。
さて、本題の日本人がなぜ二胡を演奏するかという点にも注意を向けたいと思います。しかし、これを特殊なことと見ること自体が特殊ではないかと思います。なぜなら、雅楽やその他日本の伝統音楽は、中国から伝来したものだからです。ここでもやはり、政治的影響を指摘せずにはいられません。近代に日本は中国を植民化したことがあり、後に経済発展しましたが、中国は遅れました。それで、なぜ中国から取り入れるのか、という考え方になる人が多いとしても不思議ではありません。
ここまでで皆様は、政治的見解と文化は別のものとして分けて考える必要があるということを(受け入れられるかはともかく)理解できたと思いますので、ここから中国と日本との交流の歴史を考えたいと思います。最も古い証拠は、奈良時代の正倉院の宝物で、唐の楽器が幾つも収蔵されていて、今なお中国と日本の研究者の関心を集めています。この頃に日本の伝統音楽の基礎が作られたのかもしれません。
その次に歴史的に明確なのは江戸時代に渡来した明清楽で、当時の日本人は中国語を翻訳せずカタカナにして歌っていたと言われています。これを「唐音(カラオト)」などと呼び(この延長でカラオケという語ができたのかもしれません)楽譜や本も多数出版されて人気があったと言われています。楽器は輸入だけでなく国内生産も行い、特に安価だった胡琴と月琴は広くもてはやされました。この流れは幕末から明治にかけて続き、後の戦乱によって休止がありましたが、また再び文化的交流が始まったことは、自然なことだと思います。過去とは異なり、現代は流通が発達しているので、中国だけでなく、世界の音楽を取り入れることができるようになりましたから、中国音楽はその内の1つに過ぎませんが、東洋拉弦楽器の伝統を色濃く残している点で、中国胡琴は貴重な存在なので、特に重要なものではないかと思います。