教室の規定について - 二胡弦堂

 


 教室は生徒さんのニーズに合わせて運営されているものである一方、生徒さんの考え方の修正も求められているところです。学ぶところですからね。生徒さんが自分自身が何も変わってないと感じるようなら、やめようかという気にもなってくると思います。前に進む何かが感じられていないといけないし、それには生徒さんの方にも考えがあったりします。大雑把にそういったこと全体が期待されている場所です。

 こういう考え方は一見普通にも思えますが、実はそうでなかったりもします。進歩の重要性は3番手、4番手で、もっと他のことを重視している人の方が多いと思います。プロになる訳ではないから、とか、まずは楽しければ良いという考えで、進歩よりも別の要素の方が気になるという例が多いのではないかということです。例えば、これはかなり言いにくいことだし、批判ではない、これも1つのやり方ということを認めた上でですが、レッスンはほぼ100%、発表会の準備に充てられるという教室は少なくないと思います。まず発表会ありきで、それが年に1回あるのであれば、年中、その発表会で披露する曲をとことん練習します。それを毎年繰り返します。発表会の前になると数ヶ月は飾り付けの準備で費やされるといった具合です。このやり方は二胡教育市場で強く支持されているので、多くの教室で採用されています。本稿ではこのやり方については考えません。純粋に二胡に向き合いたいと思っていた人がどういうところへ行けば良いのか、或いは運営者がどういう要素に留意すべきかということを考えることにします。

 生徒と社交的付き合いはほとんど或いは全くしないという先生がいます。何かくれたりは稀にありますが、こちらが何か渡すと全て拒否します。発表会なんてものは当然しないし、契約は1回限りで、練習が終わってから次回の日取りを決めます。来たくなければ、そのまま来なければ良いという訳です。ないことづくめです。これは一見簡単そうに見えますが、実際はむしろその逆でしょう。ごまかしが利きませんので。生徒を個人的関係、契約で縛り、季節に応じて様々な贈り物が飛び交い、それでやめるとなったら「あんたはそういう薄情な人間なのか」と言ったりする手が使えません。つまり、教室のあり方を見ると、そこがどういうところかわかるのではないかということです。月に学費が1万円かかるとしたら、それ以外のコストもあってそれは楽器関連であったり交通費だったりしますが、それ以外のコストも課せられるかもしれないことも考えておかねばなりません。もしグループ全体で12名いて、確実に誕生祝いをしなければならないのであれば、1ヶ月に1回ペースになります。加えて生まれた亡くなったもあります。中元歳暮もあります。還暦祝いもあります。クリスマスもあります。バレンタインもあります。それでこれらを一切禁止にしている教室があります。金銭的に可能かもしれないけど、そういう人は忙しいし、暇は年寄り以外は手持ちがないしで、年寄り主導になっていればそこはどうしても規制をせねばならないと考える教室も少なくないでしょう。しかし生徒は例会を開催して交流したいと考えるので完全な禁止も難しくなります。普通のお茶会までやるなとは言えません。規定を設けても法的抜け道?というものが存在します。生徒に女性が多いと非常に派閥ができやすい、これが問題になったりします。つまり派閥以外はどんどん辞めていくということです。経営を揺るがす問題です。

 練習中に生徒の弦が切れたとします。スペアを持っていません。先生が1つあげます。そうすると、その人だけ貰ったことになります。他のきちんとしている人たちは貰っていません。駒とか、他にももっと些細なものがあるかもしれませんが、そういうものが心理面に少なからぬ影響を与えます。確実に信頼を失わせる行為です。そういう問題を避ける場合は、教室内で提供されるもの全てについて価格が明示されている必要があります。グループにおいて、誰かが出張に行った時に土産を買って来ます。そのうちこれが義務に変わり、どこに行くにも人に言えなくなったりします。秘密主義が蔓延します。これも一切禁止せねばならず、茶菓子が必要なら教室の方主導で準備せねばなりません。しかし例外もあって、高額の教室で金持ちしかいない場合は規定がほとんどなくても問題は発生しにくくなります。誰々ちゃんが何か貰っても誰も気にしません。むしろ貰っていない人があげた人に「ありがとう」と本人の代わりに感謝したりします。男性ばかりというところもそういう傾向があります。ドライで細かいことは考えていません。それで規定の設定というのは難しいものです。問題が発生するのを待ってから設定した方が良いかもしれないというぐらいタイミングも含めて難しいものです。世話焼きのご婦人がおられて、全ての人が常に世話になっているが、それで問題ないという場合もあるので、それなのにあらかじめ「これはダメ、あれはダメ」とやっていれば冷たくなってしまいます。

 グループレッスンは学費が安いのでハードルが低いし教室が収益を得やすい構造ですが、真面目にやっているところがこういうことをするでしょうか。色々考え方はあると思いますが、中国で日本のグループレッスンについて話すと質問が相次ぎます。不可能ではないか?人によって進歩が違うし、それは1日目から現れてくるのにどうやって協調するのか?どうやって個人のケアをするのか?全員で斉奏するだけか?マジか?とこういう具合です。弦堂は「君、考えてみたまえ。個人で1対1だったら1回1万円とする。そこがグループだと3000円、生徒が10人いたら3万円だ。わかるだろ?」「生徒はそれで納得するのか?」「大人気だから心配せんでいい」とこうなります。中国人は利益にシビアなので、この事例で3000円は高すぎると判断します。前に、その人は声楽の先生でしたが、10分しか教えないというやり方を取っていた人がいました。1回500円と激安で、その人はそれは趣味でした。本業はオペラ団の所属でした。だいぶん昔の話です。しかし生徒の方で人数を集めなければならず、ノルマはわかりませんが、例えば6人集めたら1時間で、他の友達がレッスンを受けている間、見学も可能でした。いや、15分だったかもしれない、だけど500円は確かです。これはわかります。初心者はすぐに疲れるので1時間はきつい、1時間個人レッスンも高すぎるというところで、ちょうど良い落としどころだったようです。またこれぐらいの方が進歩も確実なようです。無理がないからでしょう。10分でわずかでも得られるものがあれば満足しますが、1時間ではなかなか満足は難しいものがあります。それは生徒が疲れるということとも関係しています。見学も可能で参考にもなるし、結構評判は良かったようです。ただ運営は難しいでしょう。すでにグループになっていたら、たまにはそういうやり方をとるという可能性も検討できます。だから問題点があろうとも先にグループで組織するというやり方はあると思います。メンバー内で同意できなければ、補講でやりたい人だけ追加でやれば良いし、ともかく短い時間というところがポイントですが、そういうやり方はあると思います。

 発表会というものをどう看做すのかはそれぞれ意見があると思いますが、少なくとも父兄親戚以外に聞きたいと思っている人はいないでしょう。あれは教室の勢力を誇示する商業的な側面もあって、いわゆるアーティストが武道館でライブしたら一定の成功の証といったような類とはちょっと違いますが、基本は同列のものです。だからこれはこれで結構なのではないかとは思います。それに発表会にはそれなりの有益な点もあります。やはり人に聞かせるというのは進歩の助けになります。しかしやるべきことは多いので、発表会に注意を向けるのはデメリットの方が大きいでしょう。個人で練習しているとアンサンブルは慣れないのでその方向に注意を向けるのであれば、できれば別の楽器と協働したいところです。同じ問題は他の楽器の教室でも抱えていると思われるので、先生が別の教室と何か一緒にできないか相談するということは可能性としてはあり得ると思います。例えば、ギターの教室が近くにあったら、もちろん基本的には別々にやりますが、たまにはアンサンブルの時間を作るのはどうかといった提案をして、ある程度進歩した生徒同士で演奏するなど、そういう方が発表会よりよほど面白いのではないかと思います。発表会ではなくて演奏会を目指すべきだということです。「聴いてくれ」ではなくて「聴きたい」と言われる仕事を目指さねばならないということです。その方がよほど生徒のことを考えているのではないかと思います。

 アンサンブルになってくると、ただ単に音を合わせる以上の多くの事柄が関係してきます。最初の難問は譜面をどうするかで、演奏会の場合は音響も加わってきます。もちろん音響は使わないで済むならそれが最良ですが。このように学ばねばならないことというのは意外に多いものです。そう考えると、年中発表会の準備は時間の浪費に見えてしまいます。発表会大好きな方もおられると思うのでこういうことを言うのは申し訳ないということはわかっているのですが。やるんだったら入場料を取れるぐらいの仕事はするべきでしょう。発表会自体は無料かもしれませんが、時間と交通費は無償ではないからです。中学以上ぐらいになってきたら、少なくともそういう概念は認識できるようになっているべきです。あんまり言うと何もできなくなるので基本概念としては、という前提において話すしかないですが、それぐらいやっていないと面白くないのでは?と思います。